桐生水車研究会発足からの経過報告
1.発足の経緯
2001.10.13、桐生学主催でシンボジュウム「水車の廻る風景を求めて」が織物参考館で開催された。NPO桐生地区情報ネットワーク(塩崎泰雄理事長)が厚生労働省の委託を受けた研究の一環として取り組まれた事業と聞いている。
熟年世代の文集の中に水車についての思ひ出が多く語られていることにヒントを得て、このシンボジュウムを企画されたという。水車に関する資料を多数集め会場に展示
され、水車風景の写真を横断幕にスクリーン捺染で転写するなど、周到に準備された楽しい集会であった。
プロジェクト代表坂野氏の主旨説明の後、<水車シンポジュウム>に入った。パネラーは小池氏、峰岸氏、それに亀田の三人で順次水車について思いを語った。亀田は水車所在の地図作成(特に赤岩用水の旧新宿地区)の必要性及び実物大の水車(桐生独尊の「上げ下げ享」と「ド箱車」と八丁撚糸機のシステム)を完成したいことを主張した。産業考古学会の水車・白の分科会の代表、小坂克信氏も参加され、後日、ぜひ実現してくれと励まされた。
そんな思いを取材にきた「桐生タイムス」の記者に語り、11月12日付けの同紙に「研究会発足へ」と報道され、からくり人形研克会の山鹿氏・五十嵐氏・佐藤氏、木工業の大沢氏、精密機械製作の須田氏、「まちづくりコンサルタント」の塵山さんが参加し、12月6日「設立準備会」を中央公民館で開催することになった。
2.設立準備会(2001.12.6)
午後7時、中央公民館に上記7人が集い、最初の集会なので自己紹介・抱負を語っていただいた。からくり人形研究会の山鹿氏は大正5年まで動いていた水車からくりの実現について語った。
同研究会の佐藤氏はその後実現の運びとなる河鹿荘の水革について述べた。元群大教授の五十嵐氏は現在の水路の流れでは流量不足で、せいぜい1HPの属力しか得られず水の確保は不可能と語られた。
大沢氏は木工業という職業柄、10年前に水車をつくる会を発足させ、直径1m,12mというミニュチァの水車を作ったことがあるという。
庭山さんは町づくりコンサルタントとして活私大学で水に対する価値観の変容について研究され、桐生の水路について調べてみたい盆述べた。亀田は
@赤岩用水、旧新宿地区の調査、
Aミニュチア水車の作製、
B実物大の水車を完成すると本研究会の目標をしめした。
(まとめ)
@水車からくりの実現、
A現在の水路はそのまま利用できない、
B撚糸・糸繰り水車のミニュチア→実物の提案がなされた。
3.第1回例会(2002.1.22)
具体化に前進した集会であった。五十嵐氏は
@動態展示、特に織物用水車は商工会議所裏の水路を活用し昔の形態で復活できるのではないか。
A天満宮境内の太鼓橋下の水路を活用し、ポンプアップして水を循環し水車を仕掛け、からくり人形を動かすと堤案した。
佐藤氏も天満宮内で水車動力でからくり人形を復元したいと述べた。山鹿氏も同様な提案し、さらに活動資金についても言及した。
大沢氏は水車の復元について語り、木工のプロ甲立場から製作のお手伝いをしたい述べた。1月24日のタイムスは「天満宮で水車復元」の記事を載せ、同日、同宮の前原勝氏から代表のもとに研究会のプロジェクトに賛成するという意向を寄せられた。翌25日の同紙は「天満富も前向き」との記事が出た。
11ノ25山鹿・佐藤両氏、薮塚町井田氏所有の水車及び天神町の小松屋の水車を見学される。薮塚のものは大きすぎてだめとのこと。小松塵の水車は保存状態もよく大きさも適当なので天満宮によいのではないかとのこと。
■2001/12/1
五十嵐氏から連絡。塩崎氏と2人で天満官に挨拶に行かれたとのこと。
■2002/2/4
事前に大貫一雄の斡旋もあり、山鹿・佐藤・亀田の3人で河鹿荘小松崖高須
孝重氏を訪問、鹿沼製直径1.紬(昭和30年代製)の水草の水輪を寄付していた
だくこととなる。
■2002/2/7
前日連絡があり、須田・亀田で相生町1丁目、喜多静男氏宅訪問。昭和11年にタービン(模型、フランシス水車)3〜4馬力を導入し、イタリー式撚糸機5〜6台を動かし、昭和30年までタービンで撚糸機を動かし、32〜3年ごろは電力事情の悪化で一時ヤンマー・ヂーゼル4虜力を利用、そのご電力を利用するようになった。昭和6年ころから水車の減少もあって、タービンの利用がみられたと思われる。
4.第2回例会(2002/2/19)出席者12人
@天満宮の水路を利用した流量 五十嵐氏
100町井戸を掘り、70分の1〜80分の1勾配で堰をつくり、その堰の下部に穴を開け下掛け水車に向け水を流すという構想0100V井戸を掘るのに400万円かかるという。
A相生の喜多静男氏のタービン水車(昭和11年) 須田氏報告決定事項=赤岩用水で小松屋水車を回してみる(後中止)。赤岩用水の水路散歩。
5.第3回例会(3.26)出席者5人
@報薯=天満宮現地見学会(3.14)
天満宮の前原宮司から方針が述べられた。T.昔の水車で「からくり人形」を動かしたい。U.氏子である高須氏(小松屋〕の寄付された水車を使用したいとのことであった。山鹿氏(からくり人形研究会代表)は具体的に次のような提案をされた。宮内の水路中に水槽を埋め込み、その水を循環し上掃け水車を回して、からくり人形の動力とする。水は濾過して腐らないようにする。
A.今後の運営について
A.水車動力による「からくり人形」を研究するグループ
B.「上げ下げ水車」のミニュチア及び実物大の水車復元、水路調査グループ
C. 効率的な水車を研究するグループ
1カ月に1回程度例会を行い、情報交換する。
その後グループごとに活動を続けている。
■4月21日 南安曇郡保高町有明1216 塚田藤物工場訪問(Bグルー有志)
鉄製水車(直径85センチ、ボンスレー水車に類似)を落差110センチを斜めに落と
した水で回し、その軸を工場内に入れ、糸繰り機・八丁撚糸機(片側10錘)の動
力とする、2階には高槻4台と経台があった0数カ月前まで、有明紬を製造してい
た0現在は休業中。
■須田氏は精密工業主だが、水車の設計図があり、且つ父親が撚糸水車の研究者
こともあり、現在5分の1の「上げ下げ水車」のミニュチアを製作中。
■4月25日
須田・大沢・亀田(Bグループ)の3人で「一郷一学」の補助金を受けるか検札
2分の1補助で最大40万円の補助が受けられる可能性がある。
■5月8日
「一郷一学」補助金の件で、山鹿氏の案内で県事務所へ行く。係の方の説明で、
水草復元資金は無理で、イベント事業に対する補助資金的なものに重点があるこ
とが分かり、後日この問題を検討した3人で相親して申請を断る。
■5月2日
市から廃物タンク(2トン)があるという連絡を受け、天満宮宮司
の前原氏・山鹿氏・亀田その他1人で桐生広域林業組合に見に行く。
■亀田が赤岩用水の旧新宿村の水車(大正期)217基中115か所の所在を明かにし、
その結果82か所(7ほ)が「上げ下げ水車」であったことも判明した。水車の大
きさも6尺〜8尺頑度と小型が多い。ちなみに境野村分は104基(明治40年調査)。
■5月18日 菱町の小堀織物見学。小掘家ではかって、200メートル離れた黒川か
らイナズマ(8番線3本でクランク仕掛けで遠隔地に動力を伝える道具)で水車動
力を伝えたという。小堀氏制作のイナズマの模型を見せてもらう。実際のイナズ
マは、川から離れたところに使われた。相生・川内などでもかって見られた。桐
生地域以外でもイナズマは使用された。
6.第4回例会(7.2)出席者9人、場所 西公民館 PM7:00〜
@須田信宏氏、「上げ下げ水車」(縮尺5分の1)を完成し、そのミニュチアを会場に持ち込み仕組みを説明し、実際に動かしてもらう。須田氏は父親が描いた水輪の図面を基に3か月を要し、2基の同水車模型を完成させた。その間、中之条付近の水車大工をしばしば尋ね質問したとのこと。本人が精密機械の専門家であり、鉄以外の木材を化工する点で最初は戸惑ったという。ホゾ穴を彫るのも難しかったと実感をこめて語った。精密機械の原理を応用して一番難しい水輪の部分を作るのに、ジグを工夫している。A亀田は、「上げ下げ水車」を必要とした理由を説明した。
G「上げ下げ水車」は桐生独特の水車であることを広く市民に伝えるために、今後「ファッション・ウイーク」の場を利用すること、また、からくり人形館(有鱗会館内)で実施予定のシンボジュウムの際に、紹介していただければとも思う0さらに、NPO桐生地域情報ネットワーク主催で高齢者が作る冊子『桐生織物と撚糸用水車の記憶』の製作事業が始まるから、普及活動にもなればと思う。
(2002.7.3)