【水車について】
1. 水車の沿革
日本の水車についての最初の記録は、「日本書紀」(720)である。推古天皇18年(610)のころ、水力を利用した臼があったことが記録されている。
時代は下り、建久6年(1195)の「東大寺建立供養記」には、水車で大量の米を搗き、人力を省いたという記録がある。
一般には、灌漑のための揚水用に利用されることが多かったようである。
元禄時代以降(江戸時代中期)から一般の米搗きに利用されるようになった言われている。このことは、米の生産高が増えたこととも関係している。水車による米搗きは享保のころには各地にあり、1700年代の中ごろ以後に全国に普及している。
水車は、明治以降も増え続けて、大正末期から昭和初期にかけて全盛期を迎える。それが激減するのは戦後、昭和30年代の高度成長期以後のことである。
現存する水車は、玉川大学の調査によれば200〜300台となっている。
2. 水車と撚糸機
水車といえば、一般には「精米製粉用の水車」と考えられる。しかし、水利に恵まれた地方では、精米製粉用の水車の他に、各種の小工場の原動機として活躍した。
水車を利用して初めて撚糸機を動かしたのは、桐生新町の大工、峯岸勝右衛門方に寄宿していた下総国結城の住人岩瀬吉兵衛で、彼は、西陣撚車に改良を加え、天明3年(1783)に水車動力の八丁撚糸機を発明したと伝えられている。
その後、桐生では文政7年(1825)に水車動力の積屋(賃撚り屋)が誕生、各地に撚糸機が伝わり神奈川の半原、前橋などでもこの頃より水車を利用した撚糸が行なわれている。
3. 感想
「水車は精米製粉のために利用される」というイメージが強い。そして、精米製粉用の水車に比べ、工業用に利用されていた水車を目にする機会が少ないように思われる。そのため、工場での利用に関してはあまり知られていないのではないかと思う。
精米製粉のためだけに水車が利用されていたのではないということを広く知ってもらい、伝えていくためにも、撚糸機を動かすために水車が利用されていた記録を残す必要があると強く感じた。
森 美有紀(群馬大学・社会情報学・学生)
参考
株式会社 田中住建 水車の沿革 http:www/wakuwaku.gr.jp/sakudaira/suisha/susisha enkaku.htm
京都府織物・機械金属振興センター 丹後織物史の風景 http:www.silk.pref.kyoto.jp/fukei/tango6.html