館林唐桟織(とうざんおり)の見本3000点以上
桐生織塾には館林唐桟織りの見本が3000点以上集められている。これは武藤塾長が、**の頃群馬県館林周辺で織られた『唐桟織』を長い年月をかけて集め、学術的に分類をしたものである。
唐桟(とうざん)とはなにか
細い木綿糸で、独特の細かい縦縞を織り出した布です。唐桟縞(とうざんじま)、桟留縞(さんとめじま)などとも呼びます。
綿織物の一つで唐桟縞とも奥島ともいわれ、サントメ(桟唐)は西インドの東岸にあるサントメ即ちセント・トーマス島より渡ってきたのでこの名前がある云われております。産地はインドで、日本には安土桃山時代(16世紀末)にオランダ船でもたらされたのが最初だといわれています。
原産地がインドのサントメ地方だったので、江戸時代には「サントメ縞」と呼ばれていましたが、それに「舶来物」を意味する「唐」が付いて「唐サントメ」と呼ばれるようになり、濁音便化して「とうざん」になったともいわれております。
紺地に蘇方(すおう)染の赤糸と入りのものは奥島とも黒手ともいい、浅黄縞を青手と称し、これはすべてをおくしま(奥嶋)とも呼称しています。
オランダ人がもたらしたもので、江戸時代・寛永の頃より既に流行し、就中天保の頃よりその輸入が盛であったといいます。上下男女の別なく、夏着の薩摩上布に対して冬着として唐桟を愛用したようすです。
「唐桟は、江戸初期寛永のころからすでにみられ、江戸半ばころから末期にかけて大流行した。とくに唐桟織がもたらされた文化・文政・天保のころが全盛時代といえる。細い糸で打ちこみがかたく織られているため、麻状の外観と絹のつやと風合いを有し、また、細かい縞柄が江戸好みの渋く、いきな美しさをあらわしており、今日でも趣味的な装いに珍重されている」〔『新・田中千代服飾事典』(同文書院)より〕
その後武州入間郡でこれを模倣し、川越より移出したので川唐といい、舶載品は之を唐桟留といって区別したようです。後に略して唐桟とも称したようです。
布の特徴は、
館林唐桟は各地で織られた唐桟の1つですが、昭和の初め頃に盛んに織られたものを呼んでおります。