唐桟(とうざん、Taffachelass)
綿織物の一つ。唐桟縞とも奥島ともいう。さんとめ(桟唐)は西インドの東岸にあるサントメ即ちセント・トーマスより舶来せるより、この名あり。紺地に(すおう)蘇方染の赤糸と入りのものは奥島とも黒手ともいひ、浅黄縞なるを青手おも称し、これはすべてをおくしまともいへり。蘭人により輸入しはじめられしものにて、寛永の頃より既に流行をきたし、就中天保の頃よりその輸入盛んにして上下男女の別なく、夏着の薩摩上布に対して冬着として唐桟を愛用せり、その後武州入間郡に於いてこれを模倣し、川越より移出せしを以て之を川唐といい、舶載品は之を唐桟留と称し、後又略して唐桟ともいへり。組織緻密にして、光沢仕上げを施し地合平滑なり。長さ十ヤード。幅四十二インチ前後あり。(増補・染織辞典)::日本織物新聞社編
奥島(おくじま)(奥縞、奥柳條とも書く)
さんとめしま(桟留縞)すなわち唐桟縞の一種。紺と樺茶との堅縞の綿織物。長崎における蘭人居留地を奥島としょうせしより此の名前を得たりとも、又守貞漫稿に「三筋竪は紺地に蘇方の三筋づつの竪縞なり、江戸にて奥島と云う。先年将軍家此島の袴を製し、大奥にて著之し玉ふ故におくじまと号しした。京阪の人は唐桟と云わず奥島をもって唐桟の総称とす。唐桟は来舶の木綿縞なり」ともあり。(増補・染織辞典)::日本織物新聞社編
奥島(おくじま)
唐桟の一種。紺と黄色味を帯びた茶色との縦縞の綿織物。又は唐桟の総称。江戸時代に南方の島を「奥島」といったこと、又は長崎のオランダ人居留地の呼称からの名とされる。袴地・羽織地・財布などに用いる。(原色染織大事典より)
川越唐桟縞(かわごえとうざんしま)
縞木綿織物の一。江戸末期に埼玉県川越で房州唐桟を模倣して織りだした。「川唐」「川桟」ともいう。赤糸入変縞・青手という浅黄縞・じゃがたら・赤算崩し・藍算崩しなどの柄行のものを製した。(原色染織大事典より)
間道
間道(かんとう、かんどう)は、邯鄲、漢島、漢渡、漢唐、広東とも書く。室町時代から江戸初期に、中国や南方から渡来した縞織物。金襴(きんらん)、緞子(どんす)などと同様、名物裂(めいぶつぎれ)の一種として茶人が名物茶碗や茶入れなどの袋にして珍重した。
『増補華夷通商考』(西川如見著、一七〇八年刊)には、木綿島として安南(ベトナム中部)、ムガール(インド)、ベンガル(インド北東部)、サントメ(インドのコロマンデル地方)、ラウ(ラオ、ラオス)などを挙げている。そのうちサントメは桟留縞、サントメから渡来した縞の綿織物、あるいは唐桟(桟は桟留の略)として知られ、国内産の織物も含めて桟留縞と呼ばれる。
細番の諸撚(もろより)綿糸を平織りにした雅趣のある縞織物で、紺地に浅葱(あさぎ)や赤などを細い竪(たて)縞に配し、通人が羽織、きものなどに愛用した。現在も埼玉の狭山間道など、春から初夏のきものとして愛好家には欠かせない。
-
|