桐生タイムス1997年(平成9年)12月11日(木曜日)掲載
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────桐生に残っていた「からくり人形」が、にわかに全国の注目の的になりました。「国の文化財になりうる」「気絶するほど貴重」と専門家の評価も高いですね。

 山鹿 6月に国立科学博物館の鈴木一義さんや日本人形劇センター前理事長の宇野小四郎さんら先生方に見てもらったところ、こちらもびっくりするような評価をいただきました。11月のファッションウィーク中、有鄰館での展示にも、各地から二千人も来場者がありたいへんな人気でした。


────これまで埋もれていた「隠れた文化財」ですが、どんなきっかけで発掘されたんですか。
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 山鹿 昭和63年に郷土資料展示ホールで企画した「ふるさとのまつり展」に、天満宮の臨時大祭(御開帳)の飾り物の一部が出品されました。36年以降、初めて人形の存在を確認したわけです。その後、島霞谷に関する調査を進めていて「機巧図彙(きこうずい)」に出会いました。幕末の先端技術だったからくりを、霞谷が描いたものです。鈴木先生に科学面の調査をお願いする中で、桐生にあるからくり人形もぜひ見たいということになって。島さん宅には明治27年の引き札もあり、あちこちから舞台背景や写真などの資料も出てきました。


────以降もいろいろな資料が集まり、同時に関心のある市民が集まって「からくり人形研究会」ができたわけですね。

 山鹿 いまは変な時代になってきました。骨董の価値は金銭に換算できるものじゃない。それなのにお金で買い集める業者もいるので、個人ではなく組織が必要になったんです。桐生のからくり人形の場合、人形そのものは比較的新しいですが、江戸の系譜をひく精神や技術が貴重なんですね。群大工学部の先生たちも興味を持ってくれています。展示ホール調査協力委員長や日本人形玩具学会会員として、また霞谷関係の研究者との人的つながりもあり、専門の先生方が自費で調査に来てくれるのもありがたいです。

────そういうネットワークで、島霞谷・隆夫妻は一地方にとどまらず全国級の貴重な存在だとわかり、世に出たわけです。からくり人形も「これだけで町おこしができる」といわれていますね。

 山鹿 鹿児島県知覧町の「水からくり」は国、県の補助もふくめ540万円の事業費で復元され、国選択無形民族文化財になっています。しかし人形は稚拙、動きも単純。桐生のほうが全国から人を呼べる。まずはまだ埋もれている資料を発掘し、報告書を作成したい。水車エネルギーで動きも復元するのがこれからの目標です。

────それにしても、桐生にはすごいものがたくさんありますね。

 山鹿 ええ。からくりの動きも八ミリ映画に収めれれていたからよくわかる。撮影は小型映画研究会のメンバーで、いろんな分野にこうした本業はだしの愛好家がいるんです。桐生の文化の底力を感じますね。そういう余技を越えた旦那たちの文化度は、女性のおかげ。女性が経済を支えていた。そして「繻子(しゅす)特需」など、織物産業の隆盛が背景にあった。経済と文化が一体化しての遺産を、桐生人の誇りとして後生に伝えなければならない。自分たちの義務だと思っています。

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【メモ】昭和15年2月21日生まれ。郷土玩具コレクションは中学時代から。足げく通った「芭蕉」の小池魚心さんに圧倒的な影響を受けてのことだ。父の跡を継ぎ鉄砲火薬商に。桐生猟友会専務理事でもある。****

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