桐生タイムス1998年(平成10年)8月12日(水曜日)掲載
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3t10812.jpg2t10812.jpg 桐生からくり人形の復元に向けて、準備作業が具体的に進行中だ。天満宮御開帳のあった昭和三年と二十七年、三十六年の三回、本町四丁目で演じられた「曽我兄弟夜討」の仕掛けを解明し、レプリカを製作して実際に芝居として動かすことが目下の目標。ボランティア・メンバーでつくる「桐生からくり人形研究会」は今秋の桐生ファッションウイークで大勢の市民に見てもらえるよう、はりきっている。
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 現存する人形や舞台装置など関連品は現在、「曽我兄弟」を残して高知県立歴史民俗資料館で開催中の特別展「からくりーー夢と科学の世界」に出品中だ。桐生に残るからくり人形は全国的にも貴重な芝居からくりであり、日本芸能史を語る上で欠くことができない一級資料と、専門家の祈り紙がつけられている。
 「曽我兄弟」のみ残したのは、実物を詳細に調査研究してレプリカをつくるためだ。遠景、中景、近景用に大・中・小とある曽我祐成(すけなり、十郎)、時致(ときむね、五郎)兄弟と、手引きをする女中、寝込みを襲われる父の敵、工藤祐経(すけつね)、計八体を、人形内部の仕組みも三つの場面の動きに合わせて解明、復元する。舞台装置やレール、舞台下の歯車や接続、スイッチなどの仕掛けを材料を選びつつ、操作方法も探っている。
 舞台の図面は残っていたが、肝心のからくりは人形から推察するしかなく、門戸を開けて入ってきたり、振り向いたり、刀を振り下ろしたりする動きも実際に模型をつくりながら調整しなければならないという。
 織物業で繁栄した経済力に加え、各種の手仕事を工夫を凝らしてやってのける器用な職人たちがいたからこそ、町内ごとに歌舞伎や浄瑠璃を題材にしたからくり芝居が繰り広げられたかつての桐生。昭和三十六年を最後に御開帳は行われていないが、当時図面を引き舞台下でからくりの操作もした生き証人のほか、時計、建築設計、織物、意匠、木工、郷土がん具などの本職または本職はだしの面々に工学博士まで加わって、楽しみながら再現に向けての研究を進めている。
 人形レプリカの模型や舞台の図面ができたほか、製作の場を空き工場に求める交渉も行われており、十五日には一日がかりの検証会を実施することになっている。

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問い合わせや情報提供などは山鹿会長(電22・3374)へ。

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