私の愛する町
浜松町二町目  久保田キミ(72歳)

 は浜松町に生まれ、そこで育ちました。
大正末期、私が小学生の頃この通りにバスが通っていて手をあげればどこでも止まり乗せてくれました。私も一度乗ってみたいと思ってました。時々大きな荷車を馬が引いて通ります。人力車も通ります。今は車に人がひかれる、怖い時代です。学校は家から300メートルくらいの所で見通せました。小使いさんが大きな鐘をカラン、カランと鳴らしてから走って行っても間に合うほど交通はのんびりでした。

 宿通りの川には所々水車が回っていてあちこちで機音が聞こえてました。
 少し下って昭和橋の当たりに渡し船があり、三銭ぐらいだったと思いますが間の島へ渡してくれました。

 和2年頃、お開帳といって桐生にお祭りがあり各町内で人形を飾り一ヶ月ぐらい賑やかでした。その人形が動くので不思議で不思議でなりませんでした。その人形を見に行くのに父母に連れられて始めてバスに乗りました。天満宮まで行き町内の人形見ながら本町二町目の人形、曽我兄弟仇討ちの場面が今も忘れません。

 年の春頃末広町の郷土資料館にその時の写真が飾られてあり懐かしく見てきました。こうゆうものはいつまでも取って置き、時々見せてもらいたいものです。
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