朝日新聞1997年(平成9年)6月18日(水曜日)掲載
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2a9618.jpg関東一の活動人形として有名だった「桐生からくり人形」を復活させようと、桐生市に研究会が結成された。二十一日には、人形の専門家による「からくり人形を語る夕べ」を開く。同市ではかつて、桐生天満宮の大祭典(ご開帳)のときに、各町内会は競って人形屋台を組み、自前のからくり人形を演じていたというが、繊維産業の衰退で、1961年の大祭典を最後に行われていない。
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 桐生市郷土資料展示ホール調査協力委員長の山鹿英助さん(57)の話では、現存が確認されている人形は桐生市本町1丁目の「赤穂義士討入り」4a9618.jpgと同4丁目の「曽我兄弟夜討ち」(ともに28年制作)、同3丁目の「助六揚屋の段」(52年制作)の三組。いずれも、背丈が五、六十センチの電動人形という。「曽我兄弟夜討ち」は町内会が保存、ほか二つは現在、郷土資料展示ホールにある。
 記録によると、人形師は、江戸時代から明治にかけての竹田縫之助(東京・浅草)、大正から昭和期の松崎福松、富司の親子(埼玉県本庄市)で、人形も水力から電力へと進化した。
 28年の記録では、桐生天満宮の大祭典は四月五日から二十五日まで続き、稚児行列から約百五十人の芸者たちの踊り、工場の男女従業員たちの仮装行列などがあった。この年製作の「丸橋忠弥堀端」の人形一式は祭り後、大阪の呉服商に二百万円で売れたとある。当時、私立大学の授業料が年間百四十円だったという。
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 山鹿さんは研究会結成にあたり、人形研究家で国立科学博物館員の鈴木一義氏と日本人形劇センター前理事長の宇野小四郎氏に相談した。二人は「からくり人形の存在そのものが貴重だ」と指摘、二十一日に調査のため桐生を訪れることになった。
 現在では、からくり人形の存在すら知らない市民が多い。このため、山鹿さんらは鈴木、宇野両氏の訪問に併せ、同日仲町二丁目の桐生倶楽部え「幻の天満宮御開帳 からくり人形を語る夕べ」を開く。両氏の講演のほか、61年の大祭典を撮影した8ミリ記録映画を同時上映するという。
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 人形を語る夕べの参加費は千円(食事代込み)。からくり人形についての資料情報や問い合わせは、からくり人形研究会事務局・山鹿さん(電話0277-22-3374)まで
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