「カッコソウ」を訪ねて、オランダのライデンに足を伸ばした。シーボルトが持ち帰ったカッコソウの標本があるといわれながら、定かに確認されていなかったからだ。辿り着いたその標本はライデン国立植物標本館の収蔵庫に、静かに眠っていた。170年もの時とはるかな距離を旅したカッコソウはしかし、花にピンク色をとどめ、特徴ある葉も濃緑で毛を目視することさえできた。シーボルト直筆のラベル、学名をつけたミケルの記入もあった。感動がこみあげてきた。
桐生市北部の鳴神山(979.7m)を、唯一の自生地とするカッコソウ。サクラソウ科の多年草で、4月下旬から5月上旬ころ木漏れ日のなかに可憐な紫紅色の花を開く。山襞深く分け入ると小群落ごとに微妙な個性があり、八重咲きの株も。花は雌しべ、雄しべの位置と長さで二タイプあって、トラマルハナバチが媒介して種子を結ぶということがわかったばかりだ。
しかしもはや「絶滅危急種」なのである。杉の植林の増長や後を絶たない盗掘に加えて、林道建設問題も、地球上で唯一の自生地を取り巻く。保護の必要性が長く叫ばれ、有志によるバイオ増殖・移植が続けられているが、カッコソウの命運はどうなるのか。それは花一種だけの問題ではない。
そんな状況下、カッコソウにまつわる歴史を調べ、広く知ってもらうことも急務と思われる。分類学上カッコソウが新種として学名を与えられ、記載される拠り所となったのは、シーボルトが持ち帰ったこの標本なのだ。シーボルトがミュンヘンで亡くなった翌年、いまからちょうど130年前。植物標本館長だったミケルの論文で初めて世に出たカッコソウの学名が「プリムラ・キソアナ」である。
この命名は木曽産のサクラソウ属を意味する。その謎もふくめて、標本を見ていこう。
ライデン国立植物標本館の統一台紙(ほぼ50×30cm)には、「カツコサウ」と墨書された三つ折りの和紙が貼られていた。それを慎重にめくると並んでいたのが、花茎二本と葉の裏表である。和紙の表紙裏には右端にやはり「カツコサウ」と書いた小和紙片を貼り、その上には洋紙の小さなポケットがあった。中にはいつしかとれたのであろう、花がひとつ入っていた。
表紙の下方のラベルにはミケルのペンで学名と「keiske」、伊藤圭介の収集であると書き込まれている。そして台紙右下のブルーのラベルが、シーボルトの直筆だった。彼も新種であると判断していたのであろう、「Primula
hirsta S.」と仮の学名をつけている。「毛の多いサクラソウ属」と訳せばいい。
その下の一行が「木曽の高い山の中で」という意味。ミケルはシーボルトが遺したこの「Kizo」から、学名をつけたのだ。同様の例に、「Jezo」の産と記された「プリムラ・エゾアナ」があった。水谷助六収集のオオサクラソウだ。