屋台説明

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「桐生祇園・鉾と屋台について」  
屋台について
(四丁目祇園屋台)

明治2年(1869)に完成したものである。鉾と同じく、本町四丁目で買継商を営んでいた磯部庄七(18241896)が、スポンサーとなり、自らの趣向と設計によって制作された。

襖絵12枚を組み、両袖を広げると7.5m、高さ7m、奥行6.5mは、まさに巨大屋台とも言え、鳥が羽根を広げたように美しい。

舞台中央に回り舞台を有し、下座は二階建てとし、囃子座となっている。歌舞音曲の舞台として、大変珍しい構造であり、花道も付く。床下の車輪近くには20p角のカシ材の心棒があり、かつて屋台を曵き廻した際、180度回転させる為、一本で全重量を支えた。

唐破風様式で四方全面に素木(白木)の装飾彫刻を据えている。薮塚の名工岸亦八(17911877)の手によるもので、龍、獅子、犬、牡丹、飛龍など大小60の彫刻で組み上げられた芸術品と云える。大工は町内お抱え大工の鈴木嘉七である。

襖絵は、二種類所蔵している。画家は清水東谷(18411907)である。江戸に生まれ13才で狩野派に入門し玉龍と号した。

一組の絵は「鶴と秋草の図」で狩野派らしく華やかで繊細である。もう一組の「芭蕉の図」は当時としては大変珍しい南方のバナナをモチーフにしている。2度目の来日を果したシーボルトに雇われ、植物の写生に従事した。長崎で油絵と写真を学び、その影響もあつて洋画風の大胆な構図となったものである。のちに横浜で写真館を開き、東京に上京する。大変貴重な美術品である。

扁額は表裏二種類所蔵している。正面破風下の「楽郷華観」は江戸にいた館林藩の書家田口江邨の筆によるものである。先代屋台の嘉永7年のもので、桐生の図案家石田九野と親交があり、依頼されたものであろう。寄進者は四丁目の金子吉右衛門である。

裏の扁額の「四丁目」は屋台完成を記念して磯辺庄七が寄進した。

尚、一部の彫刻と構造物が嘉永7年(1854)製のものを再利用している。桐生の屋台では、一部とは云え最古のものである。

  (文・奈良彰一)

 

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