鉾の説明

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「桐生祇園・鉾と屋台について」

鉾について(四丁目鉾)  

明治8(1875)に完成したもので、屋台と同じく磯部庄七51才の時スポンサーとなり、趣向を凝らした豪華な鉾となった。

関東地方での多くは山車(だし)と呼ばれているが、京文化の影響が強い桐生らしく鉾と名記されている。

江戸の天下祭りでは二社の山車群が江戸城内に入ることが許されたことから、二層式で高さは7.5m位までであった。関東に残る山車は、江戸から流出したり、モデルとした為、大方この規模なのである。

桐生の鉾に三丁目の「翁鉾」もある。これは江戸型山車の原型で最もシンプルなもの、しかも三味線胴の彫物は桐生に珍しく金塗りである。

「四丁目鉾」は関東地方では無類の大きさとオリジナル性に富んだ重層式桐生型と云える鉾である。

四方幕(水引き)を整え、三味線胴と人形が迫り上がると全高9.2mまでになる。

四方全面の素木の装飾彫刻は岸亦八79才の時の作品で、正面2本の龍柱は昇龍と降龍を立てている。龍の他、下座には獅子、牡丹、りすとブドウ、鶴など繊細な彫刻は大小100の部材で組み上げられている。床下には10p角のカシ材の心棒が下り、この一本で全重量を支え180度回転させ、曵き廻す手法である。

近年では、人力のみでこの様な作業をする鉾や屋台が少なくなったが、むしろ美しい姿なのである。

最上部の人形、素戔鳴命は浅草の生人形師松本喜三郎(18251891)の作品で50才の時のものである。熊本で生まれ、大阪から江戸に出て新門辰五郎のもとで評判をとった。東校(今の東大医学部)の依頼で人体模型を制作するほどで、解剖学的正確さとリアルで人間味を加味させ、命を与えた人形師だったと云える。眼光鋭く、歌舞伎の大見栄の様にも見える。

人形、構造、彫刻が見事にバランスをとり、素木(白木)の美しさと豪華さが、これほど調和のとれた動く建築芸術は珍しい。

(文・奈良彰一)

 

 

 

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