黒幣の天狗

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藁干観音伝説

桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


(わらぼしかんのん)
(菱町四丁目・普門寺)

関東屈指の参禅道場、そして桐生名物のだるま講の寺として、広く 知られているのが、菱町の無畏山普門寺(曹洞宗)である、 普門寺は桐生攻略に成功した大田金山の城主・由良成繁公が、天正 三年(1575年)に新田郡世良田から現在地に移築し、自ら開基 となった寺である。

さて、普門寺本堂への長く続く石段を途中から左へ折れると、間も なく小さな堂宇が目に入ってくる。十一面観音がまつられ、「藁干 観音」の名で人々に親しまれている観音堂である。 藁干観音・・・この庶民的な愛称が贈られたのは、こんな出来事に 由来する。

ある年の秋の事だった。忙しい野良仕事が一段落した僅かの時を見 つけて、観音堂に多勢の人が参籠をして読経をしていた。 取り入れの済んだばかりのあたりの田では、秋の日に映える稲束が のどかな田園風景を演出していた。参籠の人々の読経の声は、その 稲束の上をわたって、そして静かに消えていった。

その読経の声が、いよいよ熱を帯び佳境に入ったと思われる頃合い だった。秋晴れの空にポツンと一つ黒い雲が現われると、みるまに 太陽を隠し、青い空を一面の灰色に塗かえてしまったのである。 この天候の急変は、秋には珍しい篠つく雨の大夕立となって、アッ と言うまもなく観音堂を、あたりの木立を、そして黄金色の稲束を 襲った。

「悪いときに夕立ちが来たもんだ、明日は脱穀できると思っていた のに」「これじゃぁ、もう一度干なおしだよ。仕事の手順が狂っち まう。本当に困ったもんだ」 参籠の人々は、突然の夕立ちの襲来に一時騒然となりはしたが、手 の施しようのない外の光景に観念すると、再び読経をはじめた。

でも、やはり農夫たちである。読経が終わると、一斉に観音堂を飛 び出して、自分の田へと散っていった。 すると、あちらの田、こちらの田から、うめきにも似た驚きの声が 次々に湧きあがったのである。

「あれえ、わしんとこの稲は全然濡れてねえぞう」「わしんとこも 大丈夫だ」「不思議なこともあるもんだ。たしかに夕立ちがあった ってのになあ」 とー。

見回すと、稲束のまわりの土は雨で黒々と濡れ、小さな水たまりさ えつくっている。それなのに・・・まさに不思議そのものだった。 しばらくは濡れずにすんだ稲束をジーッと見つめていた人々は、誰 とはなしに観音堂に向かってひざまずいて合掌をした。夕立ちの中 で濡れずにすんだ稲束は、観音様の加護でなくてなんであろうかと 気づいたからである。



この有難い十一面観音に最近なぜか「ポックリ観音」の異名がつけ られた。

観音堂の前で真剣に両手を合わせるお年よりの姿を見ると、そうい ったご利益もあるのだろうが、どこかわびしい。

やはり「ポックリ観音」と言う寂しい響きよりは「藁干観音」と言う美しい由緒ある素晴しいよび名を、もっともっと大切にすべきではないかと思う。そしてこの愛すべき「藁干観音」伝説をもっと、もっと世に出すべきである。そう私は思う。。


参考
藁干観音(わらぼしかんのん)
小さなお堂ではあるが、中には、実に堂々とした体駆の十一面観音 菩薩が安置される。藁干観音の異名をもつ観音像である。

この観音像(無畏山普門寺の寺宝)も由良成繁公が普門寺を新田郡 世良田から移築する際に、一緒に移されたものと伝える。

また、桐生家十三代領主・重綱公が、佐野から養子として入部した 際に持参したものだが、その後由良氏に奪われて、此処にまつられた。
と言う別の伝説も持っている。この観音の縁日は八月十日である。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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