黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........

境野町7丁目
塚を発掘したら出土した壷の中に赤い水が。。

国道50号線を足利方面へと進むと、栃木県に入る少し手前で境野町7 丁目となる。ここは旧字名を「浜の京」といい。土地の人たちは「東京 ・京都・浜の京と言う三大京の一つ」と自慢している。 東京や京都と肩をならべる事の是非はともかくとして、ひと昔まえまで は、静かな田園風景の広がる、のどかな町のたたずまいが見られた。

この浜の京の清水通りに、先人の遺跡「円墳」がある。土地の人々に「 長者塚」とも「八幡塚」ともよばれ、代々大切に、たいせつに守られて、 明治の世の中を迎えた塚である。この塚にこんな伝説が残されている。
明治も十年代に入って間のなくの事だった。人々の間から「長者塚はご 先祖の墓だ。その塚の上で子供たちに遊ばれたんでは、ご先祖さまもお ちおち眠ってはおられまい」と言う話しが持ち上がった。近所の子供達 の絶好の遊び場として日の暮れるまで一日中、子供たちの姿が、この塚 の上で見られるようになったからである。

このことで、里人たちは何度となく話し合いを持った。そして塚を掘り 起こし、塚の上に八幡社を建てて改めてお祭するーー。こういう風に意 見がまとめられた。


さっそく塚が発掘された。小さな塚ではあったが、たくさんの遺品が世 に出た。遺品の中には珍しい陶磁器の壷があった。 壷は長い年月を経て、真っ赤な水をたたえていた。その水の中には、ご神体らしい神像が一体、これまた真っ赤に染まって納まっていた。 「これは立派な壷だ。それにこの神像もまた素晴しい。とにかく両方ともきれいに清めよう」

里人数人は、壷を大事に抱いて近くの小川に向かった。 小川に着くと、里人は、まず壷のなかの真っ赤な水を小川に注いだ。 するとほんのわずか注いだだけだと言うのに、何と小川の水がたちまち に真っ赤に染まって流れ出したのである。

「あれっ?」

里人たちは、一瞬わが目を疑って、壷の水を注ぐのをやめた。 「いくら何でもあんな少し流しただけで・・・。わしらの目がどうかし たのかな」
そしてみんな、一様に両の目を手の甲でグリグリッとやって見た。 それからもう一度、壷を斜めにして赤い水を注いだ。 里人の目のせいではなかった。

やはり先ほどと同じく、たしかに小川の 水がいっぱいに赤く染まって流れたのである。 「み、皆の衆、これは・・・」
この驚きの声に、塚の上で作業をしていた人たちも集まってきて、この 不思議な現象に目を見張った。そして長者塚の霊験に改めて尊崇の念を 強くしたのだった。

里人は、残りの壷の赤い水を注ぎ続けた。小川の水は、大勢の人々の中 を赤く赤く染まって流れていった。
数日して、下流の方からこんな話しが伝わってきた。
「ずいぶん赤い水だなぁ。濁り水とは違うし、妙な水だな。」と言う話 題で、一時持ち切りだったとーー

この話しは長者塚からはるか下流の渡良瀬川と桐生川との合流点近くに 住む人々の話題だったと言う事だった。
「ほう、あの赤い水がそんなところまで流れて行ったのかい」 浜の京の人々は、壷の不思議と発掘当時のありさまを思い起こし、祭っ たばかりの八幡社の方向にソッと手を合わせた。  


春はサクラ、夏は青葉に彩られる長者塚。近くにはその所在を示す柱が 建ち、伝えを残す小川も昔のままに流れる。

しかし、ここを訪れる人の 姿は今はない。近所のこどもたちも遊び場にはしない。 長者塚は、この伝説とともに自然の中に埋もれてしまうかのようである。

けれど、これが現代なのだと割り切って見過ごしてしまうには、何とも惜しいと思う。


参考
原形は、高さ2〜3メートル、直径10メートル内外と推測される円墳だが、すでにかなり形態を失っている。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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