黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


広沢町6丁目

「山しょう大夫」や「石童丸」をはじめとし、親子の悲しい運命を綴る名作読み物は、何時の世にも読む人の目に涙を誘う。
実はこれらの名作読み物にも負けず劣らずの親子の悲運を伝える民話が桐生市広沢町6丁目にも残されている。「椿森の伝説」がそれである。

今からおよそ九百年はど昔のこと、武人のほまれ高い八幡太郎義家の家臣、周東刑部成氏(しゅうとうぎょうぶなりうじ)がこの広沢の地に屋敷を構えていた。周東成氏は、この地の旧家として有名な周東家の祖、その人である。成氏には一粒種のかわいい姫がいた。
成氏夫妻の自慢の姫で、目に入れても痛くないと言う言葉も地でいく、いつくしみようで、周東家の一日は、文字通り姫中心に回転していた。

その大事な、だいじな姫が、ある日、ふとした病で床に臥し、日に日に病状が悪化していった。成氏夫妻は、寝る間も惜しんで慈愛にみちた看病を続けた。しかしその甲斐もなく、姫はとうとう不帰の人となってしまったのである。
一粒種。。それも掌中の玉の如くに、いつくしんで育てていただけに、この幼い姫の死は、あたかも周東家から暖かい光りを奪い去ってしまったような、大きな穴をポッカリとあけてしまったような、そんな寂しさと空しさを家中に生み出してしまった。

殊に、奥方の落胆ぶりは、はた目にも哀れそのものであった。奥方自身は「なんとか諦めよう」「なんとか忘れよう」と、つとめはしたが、日がたつにつれ、忘れるどころか、かえって姫恋しさの気持ちの方がはげしくなり、いたたまれなくなってしまっていたのである。

心の高ぶりをついに抑えきれなくなった奥方は、とうとう姫の墓への日参をはじめた。姫の墓前で思いっきり嘆き悲しんで、苦しい胸のうちをいっとき、まぎらわそうとしたのである。日参の続いたある日のこと、いつものように姫の墓前に詣でた奥方は、手にして来た椿の小枝を地面に突きさして、しみじみと墓に語りかけた

「姫、かわいいそなたを失ったこの母の嘆きと、そなたに寄せる変わらぬ愛とが、万が一にも地下に眠るそなたに届いたならば、その証(あかし)に、ここにさした椿の枝に根をのばさせ給え。そして、葉を茂らせ美しい花々を咲かせてたもれ」と・・・・・

奥方の深い愛情が地下の姫に通じたのだろうか、不思議に、さし木のきかない椿の枝が根づき、奥方の願いどおりに赤い花をも咲かせたのである。


あれから幾星霜・・・あのときの小枝は、今はみごとな大樹に成長した。春先になると、大きく広げた枝いっぱいに、たくさんの花をつけて我が世の春を謳歌する。そこには、幸か不幸か九百年昔の悲話のおもかげはない。が。土地の人々は花の咲く度に、その昔の悲話を思い起こし、実にくわしく子や孫に伝承してくれている。
うれしいことに、桐生市も「青森県以南の各地に自生するヤブツバキの栽培変種であって原種の花の暗紅色なのに反し、美しい赤色花をつけているのを特徴とする。

しかも三本が墓地内に群生しているので、満開の季節には実にみごとなものである。(中略)根回り1・15メートル樹高5・5メートル、樹齢不明」の説明版をつけ、昭和42年2月15日に天然記念物に指定して、椿の大樹ともども悲しくも美しい民話を保護し、後世への伝承を保証してくれている。うれしい限りである。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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