黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


伐り倒された「サトンゴ」の木の根本からたくさんの人骨があらわれた。。

 桐生市境野町一丁目に、かつて「殿林の八幡様」として里人にあがめられた石宮があった。その石宮はすでにない。しかし、八幡様にまつわる伝承は、今でも、里人の茶のみ話に時々登場するのである。 そぼ伝承とは・・・  両毛線の電車が家々の軒をふるわせ、風をまいて走り去る殿林地区も、室町時代の昔は、一面雑草に覆われた荒野だった。

 そこに一本の「サトンゴ」(ケヤキ)の大樹が、大きく枝を広げてそびえ立っていた。 サトンゴは、この荒野で様々な出来事を見て成長してきた。いつの間にか身の回りに住み着いた流れ者(浮浪者)が付近の家々を荒しまわったこと。その流れ者の住家から、ある日、たくさんの小銭がコツゼンと消えてしまったこと。だれが小銭を盗み出したのかわからないままに、流れ者たちが離散したことなどはその一つだった。

 また、里人がサトンゴの近くの雑草刈りの最中、自分のカマで大ケガをする事故も見た。そして、それ以来、子供がサトンゴの木から落ちて重傷を負ったり、枝おろしをした里人が中風になったりと言ったことが、続けざまに起き、「サトンゴは忌まわしい木」と里人にレッテルを貼られて悲しい思いもさせられた。

 そのサトンゴが、荒野にポツリポツリと人家が建ち始め、ようやく寂しさから解放されようと言う時に、長い一生を閉じたのである。

 サトンゴの枯死・・・それがやがて八幡様の誕生につながるわけである。サトンゴは枯れたものの、「これで忌まわしい出来事はなくなるよ。」と言った里人の思惑が外れ、昔からの忌まわしい事件だけは、相変わらず続いて人々の心を暗くさせていた。

 暫くして、枯死したサトンゴの大樹は伐り倒され、大きな切り株も堀上げられた。すると、その根本にまつわりつくようにおびただしい人骨があらわれ、里人をびっくりさせた。 「昔あったという小銭紛失事件てのは、あれは神かくしだったのじゃないか。」 「安眠の地を騒がせた流れ者に、この霊が怒って小銭を隠しちまったに違いないよ。」 とささやきあいながら、里人は人骨をその場に手厚く葬り、八幡様として祭った。

 不思議なこともあれば有るものである、サトンゴが枯れても、絶えることなく続いていた忌まわしい出来事がこのときを境にしてプッツリと途絶えたのである。 里人はこのことを八幡様の霊験ととらえ、たいへん八幡様を崇敬し、供物を絶やすことはしなかったのである。

 こうした里人の心に見守られてきた「殿林の八幡様」に再び不幸が訪れた。第二次大戦の勃発である。供え物をしたくても、里人にはその余力がなく、自身が生きるのに精一杯になってしまったからであった。里人が生きるのに必死になっている時、八幡様は、石宮ともどもフッと消えてしまったのである。

 戦後生活にゆとりが戻った時、里人が「八幡様行方不明!」と言うことに気付き、八方手を尽くして探したが小銭同様に、八幡様の行方も突き止めることはできなかった。 でも、幸いに忌まわしい事件の再発はなかったことから、里人は安堵して「八幡様も満足されて、よその土地へ旅立たれたのだろう。」と解釈したのだった。 八幡様は消えた。けれども、殿林の八幡様のことは、小銭紛失事件と、人骨発掘にまつわる昔話として、今も消えることなく土地の人々に語り草になり、子供たちに伝承されているのである。嬉しいことである。


郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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