黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


(ちぼとけかんのん)
相生町5丁目

貧しき故に生まれたばかりの赤ん坊に飲ませる乳が出ず、おも湯をつくる米さえ底をついてしまった母親。その母親があてもないもらい乳に村内を巡り、天沼新田(現在の桐生市相生町五町目)にたどりついた時は、すでに太陽は空の雲を茜に染めて山かげに沈もうとしていた。

ひもじさに一日中泣き続けていた赤ん坊は、泣き疲れて涙を夕陽に光らせながら母親の腕の中で眠りについていた。

村内を一日中巡ったが、母親には、とうとう赤ん坊の空腹を満たしてやることができなかった。
それだけに「この先どうして育てたら・・・・」と言う不安が強く頭をもたげるのだった。

そんな先行き不安におびえながら歩む母親の前に、突然夕もやの中から観音様があらわれたのである。しかも観音様は、大きな乳房をかかえ微笑んでいた。母親はあまりの事に驚きながらも、その乳房をしばし、くいいるように見つめ続けた。

その夜、母親はあまりの胸苦しさで目をさました。それは両の乳房が痛い程に張っていたためだった。それだけではない。
なんと溢れ出た乳で衣類がグッショリと濡れていたのである。こんな事はこれまでついぞなかっただけに、母親は我が目を疑ったが、夢ではなかった。

思いもよらない嬉しさに涙さえ浮かべた母親のまぶたに、夕べの乳房を抱えた、にこやかな観音様の姿が思い起こされた。 は母親が出産以来の願望を満たしてくれるものだった。

この話しは、たちまち近隣に伝えられた。そして同じ悩みをもつ母親たちが天沼新田を訪れるようになったのは、いうまでもない事だった。

夕もやの中に現われた観音様は、「百箇所観世音二世安楽也明和九壬辰(1772年)十一月吉祥日、当所関口金兵衛」との銘のある石造の観音様だったが、おとずれる女性たちにことごとく母乳を授け、そのうえ、諸々の乳房の病を治すというご利益までも与えられた。
このため、以後は人々から「乳仏観音(ちぼとけかんのん)」の名を贈られ、女性の護り本尊として信仰の心を一身に集め、現在に至ったのである。



また、両親を失った幼い姉が、空腹で泣く元気さえなくなった赤子の弟を背負って、ここまでたどりつくと、目の前に現われた観音様が、ドクドクとお乳を出して弟に飲ませてくれた。

その日から姉は毎日、観音様からお乳をもらい弟を育て上げた。このことから観音様は「乳房観音」(ちぶさかんのん)と言われるようになった。。。。と言う別説も残る。

どちらも空腹に泣く赤ん坊を観音様が慈悲で立派に育て上げさせてくれたと言う、ほのぼのとした温かさを感じさせる、すばらしい伝承である。

観音様。。今日も静かな冬の日差しの中に、笑みをたたえながら天沼新田の地に立っている。



参考 乳仏観音(ちぼとけかんのん)

相生町五丁目の「医療法人、高木病院(相生中学校前)」とその東側の道路をはさんで、高草木善作さんのお宅が建つ。伝説の主は高草木さん宅に隣り合せで安置されている。

像は山角形の塔に彫り出された観世音菩薩で未敷蓮華を手にする。この未敷蓮華がたいへん大きく、また、胸の前にあることから「乳房」と見誤られ、この伝承を生んだものと思われる。

造立の明和九年(1772)は悪い事続きだったため、庶民は年号をもじって「メイワクの年」と呼んだという。その年に建立された仏とはたいへん興味深い。



郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子
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