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桐生から古く伝えられる 民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


神泉寺の不動明王 

(広沢町二丁目)


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副題 このお寺に参詣して、頂いたお札を妊婦の腹部に巻いておけば、安産まちがいなしと伝えられていたが今はすっかりさびれてしまった。。。。

桐生バイパスにのり、大田方面から前橋市へと車を走らせると、笠懸町にはいる少し手前の右下方に、陽光に映える真っ白な建物が姿を見せる。それは桐生市十五番目の小学校として昭和五十四年四月に産声をあげた市立神明小学校である。

この神明小学校の周辺は、神明遺跡、神明北台遺跡、神明台地遺跡など、縄文後期の遺跡が散在する埋蔵文化財の宝庫である。

ここ広沢二丁目は、広沢御厨(ひろさわみくりや)の一部でもあり、また、関東管領・上杉謙信が天文二十二年(1553年)の上野下野境目検分のおり、茶臼山砦(由良氏北方の守護)の守将/金井田左衛門宗清の手勢と、合戦を演じたという、歴史的にも広く知られている土地である。

この文化的にも歴史的にも、すぐれた記録を残す広沢二丁目に、人々の心をほんのりと暖めてくれる大変素朴な伝説が、今も静かに息づいているのである。

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神明小学校の東、およそ200メートルのところに、神泉寺と言う小さなお寺がある。

不動明王を本尊とするお寺だが一般住宅の中に須弥壇(しゅみだん)を設けて本尊をまつり、堀越シゲさんと言う老女が、それをお守りしているため、近くに並ぶ墓石でもなければ、土地の人でも見過ごしてしまうような小さな寺である。

お守役の堀越さんが、もの心ついた時には、すでにこのお寺に不動明王が安置されていて、安産の仏として多くの人々の信仰を集めていたと言う。このお寺に参詣して、頂いたお札を妊婦の腹部に巻いておけば、安産まちがいなしと伝えられて、かなりの遠方からも参拝者があり、春秋二回の例祭は大変な賑わいだったと、堀越さんは当時をなつかしむ。じつはこの本尊には、堀越さんさえ知らなかった、もう一つの伝えがあるのである。

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神泉寺不動明王は、広沢の地に安置される以前、沼田の某寺の本尊として信仰され、沼田の壇徒には長い間、多くのご利益を与えてきていたのである。それなのに何の因果か、ある年のこと、本堂が火に包まれ、焼け落ちてしまったのである。

幸い「ご本尊様だけでもお救い申し上げろ」と言う壇徒の決死の活躍によって不動明王は焼けこげもつくらずに救出され、仏縁を求めて広沢の地を第二の故郷にされた・・・こういういわくがあった。

不動明王は、猛火のなかを荒ナワで壇徒に背負われて救出された。そのことから広沢に落ち着かれてからは、壇徒たちによって「荒ナワは燃やすな、」と言う風習が、この地に広められた。

本尊救出の大役を果たしてくれた荒ナワを粗末にしてはもったいない言う、壇徒の感謝の気持ちが、自然にそうさせたのであるが、また、救出に使った荒ナワを燃やすことは、再び火を招くもとであるという縁起から、それを嫌ったともいわれる。そのため、その事を知らずにこども達が荒ナワに火をつけようものならば、親達から大目玉をもらったものである。

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霜が、あたりを真っ白に染めたある朝のことである。空き地の片隅でタキ火が見られ、深い紫煙が立ち上っていた。文字通り冬の風物詩であった。そのタキ火の中へ、近所の老人が使い古した荒ナワの撚りを一本一本丁寧にもどして投じていた。

このように荒ナワの撚りを戻して、もとの藁にかえし、火に投ずることが、土地の風習にさからわない方法なのである。しかし、先ほどの老人は、土地の風習を知っていて、それにしたがったのではなかった。幼いころ、両親から聞いたことがらを身体が覚えていて、無意識のうちにこの動作をしたらしい。

伝説や伝承は、けっこう、こんなかたちで人々の心の中に、細々と生き続けて行く運命なのかも知れない。消え行く伝承文化財の姿を、かいま見た思いでもあった。

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参考

神泉寺(しんせんじ)

国道122号線を桐生方面からゆくと(株)山田製作所となりの信号を右折して200メートルほどで左手に深津農園があり、その反対側にある人家が神泉寺跡である。境内はほとんど鉄工場の作業場になっており、片隅にある墓石数基が寺の面影をわずかにのこしておるだけである。

この稿おわり

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