黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........

山王天狗の戒め
梅田1丁目



 「倅(せがれ)は、また夜遊びか。いくら説教しても言うことはきかないしー。一人息子がこうもグレてしまっては、わしらの老後が思いやられる。」 「小さい頃、甘やかしすぎたのが悪かったんですね。親を親とも思わないのですから。

おまけに近頃はバクチにまで手を出しているとかー」 「バクチ?帰りが遅いのはそのせいか。困ったもんだ。とにかく、もう一度ようく意見してみよう。」

 こういって火鉢の炭火をかきまわし、ガックリと肩を落とす老夫婦があった。山王(さんのう)宮近くの三光院(さんこういん)院主夫妻である。

 一人息子が、成長するに従い道楽息子(どうらくむすこ)となり、連日連夜の遊びほうけ。 両親が少し強くいさめると、プイッと家を飛び出して二日も三日も帰ってこないありさま。そのために、こういったグチが老夫婦の口をついて出るのだった。

その夜も寝ずに待っていた老夫婦が、夜半(やはん)すぎに帰ってきた息子をつかまえて涙を流さんばかりにいさめたが、息子は鼻先でせせら笑うだけで、布団(ふとん)をかぶるとふてくされて寝てしまった。この様子に老夫婦は、ただただ太いため息をつくばかりだった。
そして、両親の心配をよそに高いびきをあげる息子をみつめていた老夫婦は、どちらからともなく「近くの山王様におすがりしてみよう。」と、言い合った。

 息子の道楽は、相変わらずとどまるところを知らなかった。思いあまった夫婦は、とうとう山王様に三七、二十一日の火もの断(だ)ちの願(がん)をかけた。一人息子を立ち直らせたい一心から、このつらい願かけは毎夜ひそかに続けられた。

やがて満願(まんがん)の日。この夜は月の明るい夜だった。この月明かりの中を夜老(ふ)けて帰ってきた息子が、いつものように手荒に門の扉をあけようとした。と、その時だった。突然グイッとまげを何者かに把(つか)まれると、グーンと夜空へ引きあげられてしまったのである。

 「たっ、助けてくれぇ。」 と息子は叫んだが、あまりの恐怖から叫びが声とならないまま、グイグイと上空へ運ばれていった。  山王宮の森が握りこぶしぐらいに小さくなった時である。今度は目の回るほどの凄(すご)い速さで門前に振り落とされ、家の中へ放(ほう)り込まれた。

 「ドシーン」 まるで落雷(らくらい)のような大きな音に、老夫婦が驚いてかけつけてみると、いま(いま)に息子が倒れ気を失っていた。

 献身(けんしん)の介抱(かいほう)で、間もなく息を吹き返した息子から聞いたできごとに、老夫婦は
 「これは、山王様が天狗(てんぐ)様をおつかわしになり、息子をこらしめなさったのだ。願いをおきき届(とど)けなさったのだ。」
 と、山王様に手を合わせたのだった。息子も、この事件で心の目が開かれ、両親にこれまでの非を詫び、改心(かいしん)を誓った。

 道楽から足を洗った息子のその後の生活は、まことに立派だった。両親への孝養(こうよう)はいうまでもなく、修験道(しゅけんどう)の厳しい修行(しゅぎょう)もよく耐(た)えて、その道を極(きわ)めたのである。

 寄る年波で父が隠居(いんきょ)した後は、慶秀(けいしゅう)法印と名を改めて三光院を継(つ)ぎ、村人の信望を一身に集める名院主となったのである。

 慶秀法印は、八十余歳の天寿(てんじゅ)を全(まっと)うして世を去ったが、法印の若き日のできごとは「山王天狗の戒(いまし)め」とされ、土地の人々の語り草として今に伝えられた。

 天狗をつかわして道楽息子の所業(しょぎょう)を改めさせた山王宮は、日枝(ひえ)神社と改称して梅田町一丁目に在る。山王様の木々も大樹(たいじゅ)に成長し、一部は「日枝神社のクスノキ群」として、県の天然記念物に指定され、時々昔のこのできごとをなつかしんでいるのである。


参考

須永の地蔵菩薩(すながのじぞうぼさつ)

日枝神社(ひえじんじゃ)  勧請年は不明だが、桐生家の始祖・桐生六郎が、宇治川の合戦の功により、当地をを給ったとく、陣中の主語神として信奉していた、近江国日吉神社の分霊を祭祀したことが創始とされている。  観応元年(一三五〇)、桐生築城に際し、楠御殿山王宮と称した。延文五年(一三六〇)には、さらに同公が桐生城東方に遷し、後、桐生家祈願所とした。 祭神は、大山昨命、菅原道真、大国主命ほか四柱で、四月十日、十月十日が例祭。 三光院(さんこういん) かつて、日枝神社南面に存在したと伝えるが、現存はしていない。                       (昭和60年1月28日掲載) ◎東武バス停「居館」の上30メートルのT字路を左折し、直進すると、日枝神社前に出る。
郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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