黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


東二丁目

繁華街から少々離れた桐生川のほとりの東二丁目に、住宅地には珍しく広い境内を持つ一寺がある。青竜山養泉寺(せいりゅさん ようせんじ)(曹洞宗で本尊は釈迦如来、天正年間=16世紀創建)である。
この寺は山岡鉄舟(1836〜1888)の筆になる小林芳蔵氏の墓、桐生市指定天然記念物のケヤキ、併社豊川稲荷、木彫り弁財天像等々、多量の文化財保有の寺として名高い。そのため養泉寺を訪れると、とかくこれらの文化財に目を奪われがちだが、この寺に今なお息づいている俗信仰を見落としてはならない。

養泉寺の山門をくぐると、すぐ右手に一基の墓目に入る。「悟空妙頓大姉 宝歴九(1759)己卯極月十二日 明和三(1766)丙酉正月十四日 当所 小久保茂兵衛」の銘を刻む墓で、人々に「お茶ばあさん」の愛称で親しまれている。俗信仰は、この墓にまつわるものなのである。・・さてその俗信仰とは・・
むかしのこと、近所に悪質な眼病に苦しむ一人の老婆があった。老婆は日々の生活をとことん切り詰めてやっとの思いで眼病治療の金をつくり出し、再び世間が我が目で見られる期待に、心をおどらせて医者の門をくぐった。
ところが運命は非情なもの。眼病治療費ねん出の「とき」がすでに医者の手には負えないものにしてしまっていたのである。

医者から「手遅れ」の宣告を受けて、すっかり落胆した老婆の姿は、見るもあわれであった。
そんな時に、養泉寺のお茶ばあさんの話が、老婆のもとへ持ち込まれたのである。

お茶ばあさんは、トゲ抜きにたいへんなご利益があり、墓前には願かけの人の姿が絶えなかった。そのあらたかな霊験にあやかろうと、遠く越後くんだりからも、はるばると多勢が訪れるほどだったのである。
「それほどご利益のある「お茶ばあさん」なら、わしの目もきっと見えるようにしてくださるにちがいない」

そう思った時に、老婆の暗く閉ざした心の中へ、一条の光りが差し込んだのであった。
老婆は早速に家族に手を引かれて山門をくぐった。その日から老婆の「お茶ばあさん」日参が続くようになった。
おかげで目を治したい一心が、お茶ばあさんに通じるのは早かった。十日もたたないうちに霊験があらわれたのである。それからは、薄皮をはぐように快方に向かい、やがて医者に見放された目に、待望の視力が戻ったのである。

老婆の目に光りがもどる・・・・この話は、たちまちにして近郷近在にひろまって行った。そして以来、「トゲ抜きのお茶ばあさん」に「眼病治すお茶ばあさん」の名が加わって、以前に倍する善男善女が、墓前で祈願するようになったのである。


お茶ばあさんへのお礼参りは、墓前にお茶を煎じた茶わんを供えると伝える。その茶わんが今なお絶える事がない。

信仰が連綿と生き続けている証拠である科学万能のこの世の中にあっても、お茶ばあさんのご利益にすがろうとする人々のいる現実。これが、人間の本当の心なのかもしれない。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
撮影 小川広夫

参考

養泉寺(ようせんじ)

養泉寺の開創については諸説あるが、諸々の考証から、室町時代に、桐生家家臣、金谷因幡守が長竹庵を結んだことに由来し、後、元禄期に竹本土佐守が中興開基となったものとされている。寺は桐生新町の発展とともに興隆し昭和29年現在の本堂、庫裡の完成をみている。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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