黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........

菱町上菱
茂倉竜紋の織物を教えた織姫は竜だった

戦国の世の昔、鎧の下着地として諸国の武将達から大変もてはやされた「茂倉竜紋」と言う織物があった。とても丈夫で、鎧の下着地として、うてつけであったばかりか、「茂倉竜紋は勝運を招く」と信じられ、応じきれないほどの注文があったと伝える。その縁起の良い織物、「茂倉竜紋」が往時、桐生の里で盛況裡に生産されていたのである。
桐生川の清流に沿って、どこまでも細く長く土地をのばす菱村(現在の菱町)。
その菱村の北端に位置する「上菱字茂倉」が、その茂倉竜紋の産地だった。

美しいひとりの女性が、ここ茂倉に住まい、日がな一日軽やかな音を辺りに響かせるようになったのは、いつの頃だったか定かでない。
快いリズミカルな音に誘われ、村人が訪れて見ると、その住まいは、すばらしい風合いの織物を巧みな手さばきで、見事に産みだしている織姫の家であった。

始めて目にするあまりにも珍しい織物にひかれ、織姫のもとを訪れる村人は、日増しに数をふやした。
その人たちに織姫は、事あるごとに熱心に機を織ることを勧め、自分の持つ技術を惜しみなく伝授した。
村人、とりわけ女衆は喜んでその教えを受け、機織り仕事にいそしむようになったので、あちこちの家から機音がはずむようになるのに、それほど時はかからならった。

やがて、この土地で生産された織物が、茂倉竜紋の名で諸国に出回るころには、
織姫の指導によって、女衆は高度な技術をすっかり習得していた。
家々の機音が一層高まりを増して来た頃、織姫は、逆に休みなく続けてきた機織りをプッツリとやめた。
女衆にすべての技術を伝え終わって、村を去る時のきたことを悟ったからであ
る。

織姫の素ぶりから、それとなく気付いた村人は、村の大恩人・織姫に末長く村に止まるよう懇請した。しかし織姫の心を変えることはできなかった。

織姫が村を去る日がきた。別れを惜しんで多勢の村人があつまった。その村人の見守る中で織姫は、と、或る大岩の上に立った。軽く会釈をし、突如、竜と化して昇天していったのである。

村人は、この突然の異変に仰天したものの、茂倉の地に恵みを与えてくれた竜神(織姫)と、その竜神をつかわしてくれた天の神々に改めて深く感謝し、竜の昇っていった天空をいつまでも見上げていた。

竜が昇天した大岩には昇天時のすさまじさを物語るかのように、竜の爪あとがクッキリと残されていた。村人はこの大岩を「ケンヅメ石」と呼び、以来、竜紋織の由来子々孫々にへと語り伝えてきたのである。

伝えの証人・・ケンヅメ石・・・残念ながら現在は行方知れずで、対面することはできない。
「以前、ある田んぼの中に大きな岩があった。なにしろ、あまりにも大きな岩なので、野良仕事の邪魔になって〜〜。それで細かく割られて片付けられてしまった。どうもそれがケンヅメ石だったようだ」と言う古老の話しからは、すでに消滅しまったのかも知れない。

一世を風靡した茂倉竜紋も、時の流れに抗し切れず、ケンヅメ石同様、すでにこの世から姿を消してしまっている。
「昭和のはじめまでは、たしかに織られていましたよ」との里人の証言が、長い歳月を息づいてきた茂倉竜紋の歴史を語るだけ。惜しい限りである。

ともあれ織都桐生にふさわしい伝説である。


郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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