黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


(みつみねのかね)

桐生市梅田1丁目
地元の女衆や娘たちの銀かんざしを寄進して造った美しい音色のぼん鐘の行方

「これは立派に仕上がったものだ」
「この鐘ならば秩父盆地の鐘として、どこへ出しても恥ずかしくないぞ。」
秩父盆地・三峯山(桐生市梅田町1丁目金沢)では、里人念願のぼん鐘が完成し、その披露に多勢が寄って賑わいを見せていた。

目のあたりにしたぼん鐘のすばらしさ。。。誰もが感嘆の声をあげ、「この鐘の中にはおれんちのかみさんのかんざしが入っているんだ。ありがたいことだ。」
「わしの娘の銀のかんざしもだよ。わしの家にも、きっと三峯様がご利益をお分かちくださることじゃろう」などと語り合いながら目を細めた。

立派に完成した三峯山のぼん鐘。。。この鐘は、里人の語り合いのように、近くの家々の女衆や付近を通行する人々から、多量の銀のかんざしを寄進してらい、鋳造したものである。言うなれば寄進されたかんざし量と同じだけ、この鐘には里人の願いが込められているわけである。

その清い願いが込められた鐘のせいか、音色は実に美しくよく冴えて村中に響き渡った。
「おお、また三峯様の鐘が聞こえるぞ。だれぞ、またお参りしているらしい。

しかし、何時聞いてもいい音色だ」以来、里人たちは、この鐘の音に身も心も清められて、日々の仕事にいっそう精を出すようになった。こう言った生活が何年続いたろうか。

「このごろお山の鐘がさっぱり聞こえないが、こんなに長い間三峯様にお参りする人がないなんてことはあるかねぇ」「そうよな、わしも不思議にしていたんだが」と言う不審感を里人が持ち始めた。

ここしばらくの間あのお山の冴えた鐘の音がトンと響かなかったからだ。
里人たちは連れ立って三峯山へのぼった。そして「もしや」と思っていた心配が現実であったことに、驚きの声をあげた。
「鐘が、鐘が消えてしまった。」
ぼん鐘の行方不明が伝えられると、村中はもう大騒ぎ。やっとの思いで設けた鐘だけに、里人たちは仕事を投げ出して、その探索に四方に散った。だが鐘の行方はようとして掴めなかった。

この事件から、かなりの歳月が流れ去った。里人たちは探し疲れから、あきらめ顔がのぞき始めた。
そんな時、「オーイ鐘がみつかったぞ。」
と言う知らせが入った。川内村名久木の某寺で、トキの鐘として使用されていると言うのだった。

里人の強い抗議で、鐘は再び三峯山頂に戻され、また、あの美しく冴えた音色をあたりに響かせようになった。「三峯様の鐘の下は、決してくぐるでないぞ、もしあやまってくぐろうものなら、たちまち大蛇にされてしまう。」と言う噂が立ったからである。
このため里人たちは音色の返った事を喜びながらも、反面恐怖の目を向けるようになっていたのである。


なぜ大蛇に?。この疑問に明確な答えが出ないままに、三峯山のぼん鐘は、今度は永久にその姿を消してしまった。第二次世界大戦中「お国のために」と言うことで供出させられてしまったのである。
今は、この伝えを里人の心の中に、梅田村郷土誌に鋳造のいわれと「維持文政十竜舎丁治中秋日(1813年)」「亥工佐野天明大川四郎次藤原由貴」と言う鋳造年と鋳造師名とを止めているのみで、そのぼん鐘の姿を偲ぶすべもない。
参考


三峯山(みつみねさん)

金沢峠から鳴神ハイキングコースにはいり、間もなくの山が三峯山で、山頂には石宮と神像が立つ。

金沢峠に出てから、三峯山までは20分余を予定したい。


郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋

写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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