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シリーズでご紹介いたします。 お楽しみに........ 川内町5丁目 修験者の喜捨を断わったがために次々に起こる不吉な事件 江戸時代も中頃のこと、川内村名久木で名主の高草木某が突然に発狂し、家宝の 太刀を振り回しながら、近くの赤城神社に乱入。境内の五輪塔を目にするやハッ シと一太刀浴びせ、返す刀で割腹して果てるという事件が持ち上がった。ふだん は、のどかな農村だけに、この「名主様発狂・割腹」の事件は村内をゆるがすほ どの大事件であった。 この気の毒な最後を遂げた高草木名主は、全くの善人、好人物で、村人から大変 に慕われていた立派な名主だった。それが、ふとしたことから思いもよらない不 幸を招き、身の破滅までも生んでしまったのである。 そのふとした事とは・・・ 或る朝の事だった。一人の修験者が高草木家の立派な玄関先に立って 「村から村へと巡る旅の修験者です。なにがしかのご喜捨を」と申し立てた。 庭の掃除をしていた仲間(ちゅうげん)がホウキを手にしたまま応対の出て見る と、法衣はホコリにまみれ、おまけにあちこちが裂けて、乞食同然の修験者が、 身体から異臭までも漂わせて立っていた。 その姿を見るなり、仲間は体よく喜捨を断わった。 仲間には、修験者の異様な風体に気味悪く感じたのだろうが、それよりも、とっさに「玄関は汚れる」と思っての応対だったのかも知れない。 だが、修験者は断わられるや仲間をハッタとにらみすえ、「このような構えがあ りながら、わずかの喜捨もかなわぬとは・・・みておれよ。この家に必ず災いが 降りかろうぞ」と、捨て台詞を吐きつけ、きびすを返して足音荒く門を出て行っ た。 あまりの捨て台詞にいやな予感がしたした仲間は、その場にホウキを放り出し て、すぐさま修験者のあとを追った。けれども、不思議にも修験者の姿は、すで に門前には見られなかった。 修験者の言葉を裏付けるかのように、幸せな日々を送っていた高草木家に、忌ま わしいできごとが相次いでもちあがった。 △夕立ちの折り、雷にうたれた名主の片目がさけてしまった事故。 △奥方が野の花摘みの帰途、崖から足を踏み外し、転落死する事故。 がそれである。 「修験者の捨て台詞どうりになってしまった」 「名主様の家にノロイがかかってしまった。」 こんな噂が村人の間でささやかれ始めたころ、今度は名主自身が発狂したのだった。 ある日突然に名主が奇妙な叫び声を上げ、逃げ惑う家人目がけて太刀を振り回 し、暴れまわった挙句、彼の赤城神社へ乱入したことは、冒頭に述べた通りであ る。 たった、一度の喜捨を断わったがために、このような恐ろしい事件が生じようと は、断わった本人の仲間も、その話しを受けた名主自身も、夢にも思わなかった に違いない。それだけに次々と起こる不吉な事故に、心身ともに疲れ果てての発 狂だったのだろう。 川内町5丁目の高源寺(できもの、かぶれ、に霊験あらたかと言う)を左に見 て、歩を進めること100メートル余り。小川を越えて柳原方面へと折れると、 すぐ右手丘の上に赤い屋根の赤城神社が姿を現わしてくれる。今でこそ大変小さ なやしろだが、かつては、たとえ上役人といえど、無断で境内へ立ち入ること許 されず、ここに逃げ込んだ犯人を捕まえることは出来なかったという格式の高い 神社で「めこぼし地」との異名があった。 そのため、名主が切りつけた五輪塔にも「めこぼし地の五輪塔」の名がつけられ た。 思いもよらないことから、悲しい最後を遂げた名主、高草木某の恨みの一太刀キ ズは残念ながら今は見る事が出来ない。いつの頃か、修験者同様に「めこぼし地 の五輪塔」も、その境内から姿を消してしまったからである。 参考 めこぼし地 仁田山街道に川内北小学校付近で別れを告げ右の小道へ入る。名久木への道であ る。山田川を越えて更に歩を進めると、左手に曹洞宗の梅林山・高源寺が姿をみせる。 この高源寺からわずか進むと、名久木川に架橋された大日堂橋がある、め こぼし地の赤城神社は大日堂橋を渡ってすぐ右手の高台に現存する。小さな社殿 で、当時の権威というもんは感じさせないが、なかなかよく手入れが行き届いた神社である。 |
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