黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


梅田町5丁目

根本山…。群馬・栃木両県境に位置する山で、標高1197m。この山頂に大山咋尊(クイノミコト)、大山祇命(ツミノミコト)の親子神=山神=を祀った根本神社がある。

この神社は、由良氏(大田・金山城主)との合戦に敗れた桐生氏の将兵が、自刃した奥方様や戦に散った同輩たちの冥福を祈って、天正元年(1573)に創建したもので、弘法大師登山の伝説をも残している。

この根本神社への信仰は幅広く、上は皇族、下は庶民にまで及んだ。とくに彦根公(大老・井伊直弼公)江戸屋敷の盛んな信仰を得、『井伊家祈願所』として往時はたいへんな隆盛をみた。

この山深い地の小社に、天下の大老・彦根公が強い信心を寄せたのは、なぜ?
それには、こんな話が息づいている。

ある夜、それも真夜中のことである。あたりの静寂を打ち破って、ドンドンドンと村の居酒屋の戸が激しく叩かれた。この音に寝入りばなの夢をくだかれた主人が、ネボケまなこの顔を出すと、その目の前に一人の男が一升(1.8リットル)徳利をグイッと突き出して、

『亭主、夜中に起こしてまことにすまんが、急いでこの徳利に三升(5.4リットル)の酒を入れてくれい。』という。

主人は、キツネにつままれたような顔をしたまま、徳利を受けとると、
『ヘ、ヘイ。』と返事はしたものの、

『これに酒を三升だなんて…』
とブツブツいいながら徳利に酒を注いでみた。

するとー。なんと男のいうとおりに入ったのだった。一升徳利に三升の酒が…。

男は、あっけにとられている主人の手から徳利を受け取ると、その手に酒代をにぎらせて、姿を暗闇の中に消していった。

ただならぬ人ー。そう気づいた主人が、あわてて男の姿が没した闇に向かって正体を問うと、どこからともなく、こんな声が響いてきた。

『わしは黒弊の天狗じゃ。今夜は江戸が大火で、人々がたいへん難渋しておるとのこと。わしは、その江戸の大火を消しに参るところじゃ。』

この言葉に、居酒屋の主人は、
『わしの店に、お山の神様がおいでになってくださったのだ。』と、その場にひれ伏して、いつまでもいつまでも両の手を合わせつづけた。

その夜から暫くして
『江戸の大火の夜、彦根様江戸屋敷で、黒裝束に身を固めた一人の男が、眼を見張らせる大活躍をして、大勢の人々の難儀を救った。』という噂が、この居酒屋の主人の耳にまで流れてきた。


江戸の大火とは、安政2年(1855)に起きた『安政の大火』のことである。

大火の夜、一人の男が猛火に包まれた井伊家江戸屋敷内で大活躍をしてくれた。その活躍ぶりに感心された彦根公が、

『そちは何者じゃ。』と問うたところ、男は
『わたしは下野の黒弊。』と答えて立ち去ったという。

日改めて、彦根公が『黒弊』について調べたところ、それが根本山であったので、以後、伊伊家の祈願所にしたのである。

根本神社は、江戸日本橋を起点にして、浦和ー大宮ー熊谷ー妻沼ー太田を経て96.4キロと示され、江戸時代には『根本信仰』の講人たちで、道中かなりの賑わいをみせた。

ただ、根本山が峻険なために奥の院まで詣でることのできない人が多く、後に旧今倉(梅田町5丁目)に里宮・大正院が設立された。その大正院も戦後は訪れる人も少なくなったまま、時の流れによって梅田町1丁目に移転し、変わりゆく世の中をみつめている。社領が桐生川ダム建設で水没するためのやむを得ない移転ではある。

里宮は移転した。しかし、この根本神社と彦根公との結びつきを示すこの伝説は、今もなお梅田の地に伝えられている。そして、これからも万延元年(1860)3月3日、おりからの雪を真っ赤に染めて、水戸浪士の刃に倒れた彦根公ー桜田門外の変の哀話と共に、ふるさとのすばらしい伝承文化財として生き続けていくことだろう。


根本信仰(ねもとしんこう)

桐生家の再興を策して根本山にこもり、地元庶民の要求に応じておこった根本信仰。その創立は、天正元年(1573)4月1日で、桐生家滅亡後1か月足らずであった。その迅速さには、ただただ驚くのみである。

以後、関東一円から東北地方にまで、広く信者を得るという一大勢力を誇った時代があった。それも上は皇族から、下は庶民全般に亘る厚い信者層をもって…

残念なことに、弘化2年(1845)2月14日の里宮大正院焼失で、古文書・古記録いっさいを失い、その全容をしのぶことができない。現在は根本山中に奥の院、梅田町1丁目湯沢に里宮大正院がある。最近とみに根本登山を目ざす人も多く、奥の院参拝者は、増加中である。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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