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シリーズでご紹介いたします。 お楽しみに........ 降臨石の小僧 相撲狂の天狗のこどもか、不思議な小僧 かつて、仁田山絹が盛んに運ばれ、絹商がひんぱんに往来した仁田山街道をおよ そ4キロメートルほど遡ると、やがて山田川のほとりの高台に立派な社殿が姿を 見せる。 桐生織物の発祥の地として山田男子(やまだおのこ)と白滝姫(しらたきひめ) のうるわしい機神伝説を残す白滝神社(成立年不詳)である。 この白滝神社には鳥居の脇に「降臨石(こうりんせき)」と呼ばれる大岩があ る。往古、七夕の夜に突如として星が落下して岩となったと言われ、神社の御神 石とされている。 降臨石に近づきソッと耳をあてると、白滝姫の機を織る音と糸を繰る音が響いて くるといわれ、先の機神伝説とともに広く近隣にしられている。 ところで、あまりにも有名なそれらの伝説の陰に隠れて知る人は少ないが、この 降臨石には、たいへんユニークで庶民的な楽しい伝説が静かに息づいているので ある。それはこんな伝説である。 昔は親のいいつけでよく山へたきぎ拾いに行かされた。今のようにガスや石油と 言った重宝なもののなかった時代は、たきぎは燃料として欠かせないものだっ た。親たちは仕事に追われる毎日だったから、たきぎひろいは自然と子供の仕事 となっていた。 あるとき、たきぎ拾いを言いつけられた一人の子供が、降臨石の近くを通りかか ると、岩の上に見知らぬ小僧がひとり腰掛けていて、 「おーい、おいらと相撲をとらないか」 と言葉をかけてきた。 「相撲?だめだよ。おいらはたきぎ拾いに行かなくちゃなんねえから。」 子供がこう答えると 「相撲が終われば、おいらが手伝うから・・・だから相撲をやろうよ」 と小僧がさらに催促するので 「じゃ、いいよ。でも必ず手伝ってよ。」 と、子供は境内にはいって来た。境内では、すぐに相撲が始まった。二人の力は 互角だった。激しい相撲が続いた後、ようやく小僧に軍配が上がった。額に玉の ような汗を浮かべながらも、小僧は嬉しそうだった。肩で息をしてはいたが、 「楽しかったよ。さあ約束だ。たきぎを拾いに行こう」と小僧は先に立って山へ 入った。そして実に素早く動きまわって、見る間にたきぎの束をつくり上げた。 小僧の集めてくれたたきぎを背に、子供が家路につくと、小僧はなおも手をかざ しながら、後をついてきてくれた。 子供の家の角まで来ると、小僧が言った。「ここまでくれば、もういいだろう、 おいらはかえるよ」と・・・ 子供が「うん、いいよ」と言うと、小僧の姿がフィっと消えた。 途端に子供は音を立ててその場にたおれてしまった。急にたきぎが重くなったか らだった。見ると、背負っていたたきぎが、いつの間にか六ー七人もかからなけ れば運べないほどの大きな束になっていたのである。 この噂は、たちまち村内に広まった。そして、その後、岩の上から小僧に声をか けられると、子供たちは喜んで相撲をとり、たとえ力が上回っていても、最後に は小僧に勝ちをゆずった。その後の結果を知っていたからである。 相撲を断わったり、応じても小僧を負かそうものなら大変であった。小僧が悔し まぎれにあたり散らし、悪口雑言を言って姿を消すので嫌な思いをしなくてはな らなかったからだ。 ならば、多少帰宅が遅れても、小僧を喜ばせた方が自分たちにも多くの還元があ るのだから、負けるのは当然であった。 この相撲狂の小僧の正体は、だれにもわからなかった。そのため村人たちは「き っと、天狗のこどもに違いない」と。噂しあったと言う。 これが降臨石に残る、もう一つの伝えなのである。 参考 白滝神社(しらたきじんじゃ) 心身障害者授産施設「みやま園」や、川内北小学校を通過して直進すると、間も なく右側に、白滝神社の標柱が立つ、そして、山田川の先に社殿かいま見られ る。 神社の成立は様々であって、不明であるが、高山彦九郎日記に「上古此の郡より 山田郡とて都へ夫をのぼせし事ありとぞ、ある御歌合わせの御時、官女を賜うて下さる。後に官女絹を織りて都へ奉る。是より絹織ることを伝え国中に広まる。 桐生の奥仁田山に機天神と号し、官女をまつりあるとかや承る。」と言う文章があり、その原型をしめしている。 伝説の降臨石は、社殿の前、鳥居そばに広く面積を占めている。祭神は白滝姫ほか十二柱である。 |
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