黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


梅田町5丁目

桐生市梅田町を中心とした山岳地帯は、美しい森林、天然記念物、史蹟、文化財そして桐生川渓谷美など、多彩な景観に恵まれた地域で、47年12月26日に県指定『根本鳴神公園』となっている。

この公園の勢多郡東村との境界に、三境山(標高1088m)がある。公園の主峰・根本山(1197m)に次ぐ高山で、春から秋にかけ健脚の登山者が、多くこの山を訪れる。

三境山…、この山に、往時の村民の感謝の心をこめた、こんな伝説が残されている。

むかしむかしのことである。のどかで平和な山地村(現在の梅田町5丁目)に、その平和をおびやかす事件がもちあがった。村の西方の山中に全身まっ白な大蛇が住みついて、村に出てきては家畜を襲い、畑の作物を荒すようになったのである。

全長が10mもあるほどの大蛇のため、いつ幼い子供が襲われるかわからないという不安もあって、幼子をもつ親達にとっては、心の安まる時さえなくなってしまった。そのため、そうでなくても静かな村が、昼間でも人っ子一人姿を見せない、寂しい村になってしまったのである。

村人は、ただひたすら神仏の加護を祈り続けた。だが、村人の願いをよそに、大蛇の暴れ方は日増しにひどくなるばかりだった。

その頃、二渡村(梅田町4丁目)に高園寺(梅田町3丁目在、曹洞宗、応永年中創建)の末寺・高禅寺があり、法力をよくする三境坊が住んでいた。大蛇の目に余る暴れぶりや、村人の難儀の様子が、やがて、この三境坊のもとへも伝わって云った。

『それは、あまりにもひどい暴れようじゃ。村人も生きた心地がしなかろう。何とかせねば。』

三境坊は、噂を耳にするとさっそく山地村へおもむいた。そして、山中の白大蛇を法力で駆り出すと、山麓へ向けて追い落としをかけたのである。

これまで意がままに暴れ回っていた白大蛇も、さすがに法の力には恐れをなし、住み家を捨てて山を下ると、桐生川のとある淵にひそんでしまった。

それを見届けると、三境坊は再び大蛇が現われないよう淵に新たな法をかけ、見張り場所を設けた。そして『これで村には二度と大蛇は現われぬによって、安心して仕事に励みなされ。しかし、万一に備えて監視だけは怠らぬようにな。』

と村人に言いおいて、三境坊は寺にもどって行った。

三境坊のいわれた通り、村にはまた平和がよみがえった。村人の喜びは言葉では表わせないほどであった。その喜びの心が、白大蛇の住んでいた山に『三境山』の名をおくり、近くに法かけ橋、切りかけ橋、大蛇の隠れた淵には『蛇留淵』と名づけて、常に監視の目を注ぎつづけたのである。

桐生川が渦を巻いて流れ下る蛇留淵は、釣シーズンになると、伝説の地と知ってか知らずか、何人かの太公望たちが釣り糸をたれて、しばしの賑わいを見せるだけ…。今でもまさに伝説の地といった雰囲気をただよわせている。

『近くに白大蛇岩とよばれる、たて、よこ一丈四尺ほどの岩が残っている。むかしのこと、里人の星野某の攻撃に耐えかねた白大蛇が、この大岩に七回り半も巻きついて、そのまま息絶えた(山田郡誌)』という白大蛇伝別説もあって、かっての村人たちの難渋の様子の一端をしのばせている。


参考
蛇留淵(じゃるぶち)

市の宿泊訓練施設である『梅北山の家』の一キロメートルほど手前の、中島国雄さん宅前一帯が『蛇留淵』と称される。かっては、根本信仰の講中の往来でかなり賑わったところで、現在なお、中島さん宅は、当時の宿泊所の名残をとどめている。

桐生川も、この辺りまでくると、水量を増して流れ下っているが、淵そのものは、土砂の堆積が目立って、ひと昔前の青く深く渦を巻いていた『伝説の地』の雰囲気は、半減してしまっている。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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