黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


(いっしょうこうしん)

(桐生梅田2丁目)

米一升、酒一升を供え、貧しい者は小石十個でもよい、願かけすればご利益をくださる
桐生市立梅田中学校を右前方に見るあたりを梅田町の人々は「薬師前』と呼ぶ。その薬師前に西側の山頂へ向けて長々と石段がのびる風景が見られる。護国神社である。

梅田南小の児童が、いつかこの石段の段数を数えたことがある。365段とも366段ともいい。数は一致しなかったが、とにかく空に向かって長く遠く続く石段である。

石段脇の常夜燈近くに大きな庚申塔が建つ、2、4メートルを超える巨大な自然石で、実に雄大で風格のある「庚申塔」の三文字が、塔身いっぱいに薬研彫りされている。地元の人々は「一升庚申」の愛称をこの塔に贈っている。大きな文字それぞれの容積が一升(1、8リットル)あるからだ。

一升庚申は、昔からネズミの駆除と商売繁盛にご利益があって、ひところは養蚕家や商家の人々が列をなし、整理のために村役人が出張ったと伝えられている。
祈願には、愛称に因んで米一升またはお酒一升を供えるのがならわしだとされる。米一升分の粉で作った団子でもよいと言う風習もあった。

米や酒を供える事のできない祈願者には、小石10個を塔の前に供えさせる事によって、ご利益を与えたと言う、粋なはからいもしただけに、一升庚申には人の波が絶えることがなかった。

このため、塔の周辺は霊験あらたかな土地とされ、たとえ守護、地頭であっても、馬に乗ったままで塔の前を通りすぎることを禁じる「下馬の地」とされたのである。

一升庚申がこのように霊験あらたかなのは、塔の文字が前関白近衛竜山(前久、まえひさ)公の書によるものだからと、地元には伝えられている。竜山公は、永録三年(1560年)十月に桐生城に入城していると史書にみられる。越後の上杉謙信と桐生家の和議が成立した後の頃である。竜山公が、一升庚申の文字を書いたとすれば、この時をおいて他にはない。
しかし識者の間では「伝承の域を出ない」とされ、とりあわない。竜山公書が事実ならば、庚申信仰の通説が根底からくつがえされてしまうからである。

塔には造立年が刻まれていないが、周囲の石造物の銘が寛政となっていることを見ても、塔の造立はその年代に落ち着くのではなかろうか。永録三年が庚申の年であることも、不思議な因縁ではある。

竜山公書の真偽の詮索はともかくとして、そういった高貴な方と結びつけられ、話題となって長い年月、多くの人々に多大なご利益を与え続けてきた塔が、今も町内最大の庚申塔として存在する。。。
このことだけでも町内の人々に様々な夢を生んでくれて生活の楽しさを倍加させている。
これも現代における一升庚申のご利益といってよいのではなかろうか。

塔の前に立つと、小石十個を供え、「わしは、貧しくて、一升の米が供えられねえ。でも、しっかり働いて必ず米を持って来るだから、わしの願いを聞き届けて下せえ」と真剣に手を合わせる人の姿がフッと目の前に浮かんでくる。。。。
一升庚申のまわりは、今もなお「昔」の面影が残っている。


参考

一升庚申(いっしょうこうしん)

 梅田郵便局の入り口をすぎると間もなくの左手に、護国神社の長い石段が見られる。一升庚申は、この石段の左側に安置されているが、2メートル40センチの巨体であることから、その姿は県道からも見ることが出来る。

 造立年が彫られていないために様々の予測がされるわけだが、常夜燈の寛政七年(1795年)銘と塔の裏側に倒置されている元禄期の庚申塔(青面金剛)から、造立年代を推測することがよいようである。


郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋

写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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