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シリーズでご紹介いたします。 お楽しみに........ (ひぎりじぞう) 東二丁目 「あの気味の悪い坊主頭が、また来ているよ。ほんとに気持ちが悪いったらない」工場の窓の外をゆっくりと動き回る坊主頭を横目で追いながら、こう言って顔をしかめたのは小芳と言う機屋さんの織り子たちだった。 小芳は。近郷近在に知られた桐生の大きな朱子機屋だったのでいつも朝早くから夜遅くまで、多勢の織り子たちがキビキビと働き続けていた。その工場の窓窓のあたりをいつの頃からか奇妙な坊主頭がちらつくようになって、仕事の能率が落ちるほどに織り子たちを気持ち悪がらせた。 織り子たちがあまりにも気にかけるため、男衆が坊主頭の現われるたびに外へ出ては見るのだが、不思議な事に人っこ一人いず、首をかしげながら戻ってくるのであった。 主人一家もこの事には頭を悩ませ続けていた。そこへ今度もまたまた「坊主頭出現!」の知らせだったからーー 「今度こそ思い知らせてやる」 業を煮やしていた小芳の主人は火縄銃を片手に工場に駆けつけるや、窓の外の坊主頭目がけて一発発砲した。 銃声と同時に、「手応えあった」と二、三人の男衆が素早く外へ飛び出して行った。が、いつものように合点がいかない顔をして戻って来た。ネコの子一匹倒れていなかったと言うのだった。 男衆のこの報告は、織り子たちの不安をいっそうかきたてた。そしてその夜は、小芳の人達だれもが異様な空気に包まれたまま、まんじりともしないで、朝を迎える事になってしまった。 眠れない一夜を過ごした人々は、夜明けと共に一斉に外へ飛び出した。重苦しさから一時も早く解放されたかったからかもしれない。が、外へ出たとたんに人々は「アッ」と声をあげ足をすくませた。工場の窓下の土が、鮮血で真っ赤に染まっていたからだ。しかもその鮮血は、そこからさらに点々と北へのびて、朝もやの中に消えていたのである。 怖いもの見たさで、人々がその鮮血のあとをたどってみると、観音院近くまで続いて、そこでパッタリ途切れていた。手傷を負ってこりたのか、その後、窓の外に坊主頭はまったく現われなくなった。おかげで、小芳工場には華やかな笑いと活気がよみがえり、安穏な日がもどった。 そんな安らかな日が重ねられたある夜のことだった。小芳の主人の夢枕に地蔵ぼさつが現われ、「私にはいまだ堂宇がなく、路傍に立つため、庶民の信仰が得られない。多くの人に功徳をほどこすために何としても堂宇がほしい。そこで、そなたに、ぜひわたしの堂宇を建ててもらいたい。完成のあかつきには、日を限って願かけした者の成就を約束しましょう。わたしは、毎夜そなたの家の周囲を巡り、守護をしている地蔵です」と告げた。 主人はこのお告げを近隣の人に伝えた。人々は話しを聞くと喜んで寄進をしてくれた。そのため予想以上に立派な堂宇が完成し、近くに立っていた地蔵像がその堂内に安置された。 やがて吉日を選んで堂宇竣工を祝う法事が催された。そしてイの一番に地蔵ぼさつに手を合わす事になった発起人の主人は、尊像に約束の堂宇完成を報告し、功徳のあるようにお願いしながら、ジィーと地蔵ぼさつを見つめた。 と、その目に肩口の痛々しい鉄砲キズが飛び込んで来てハッとさせられた。 「毎夜、窓外に現われた坊主頭とは、あなたさまでしたか。わが家を守護していたとは露知らず、鉄砲を向けるとは・・・わたしのあやまちを何とぞお許しを。」 小芳の主人は、改めて両の手を合わせると、深々と頭をたれた。堂宇落成の法要は、盛大そのものだった。それは、主人が罪の償いにと心をこめてあたったからだった。以来、ここに詣でて日限の願をかけをする人々に、願望成就の喜びが与られるようになったことは言うまでもない。 桐生の縁日の中で、そのトップに挙げられる賑いを見せる日限地蔵(東二丁目)はこの鉄砲キズの地蔵ぼさつが本尊なのである。 毎月二十四日の縁日は勿論、平素紫煙の絶える日のないほどに、信仰を集めるこの地蔵尊の誕生は元禄時代だと伝えられている。 目次へ |
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