黒幣の天狗

桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。
お楽しみに........


梅田町4丁目

「そんなひねくれ者は嫌いだよ。道了さまに直してもらっておいで」
と言 って親は子供を外に追い出し、
子供はトボトボと道了様(道了尊)への道を歩ん だのである。

 言う事をきかない子供を家の外に追い出す親の心理は、もちろん、手にあまった 子供へのこらしめのための最後の手段ではあるが、暗い戸外で高ぶった心を落ち 着かせ、反省させ、素直さをとりもどすチャンスを子供に与えるというもくろみ もある。 その親のもくろみから、淋しい辛い思いで涙をかみしめた経験を、子供のころの ほろ苦い思いでとしている人は多いだろう。 桐生市梅田町4丁目上の原(かみのはら)でも、こういう出来事は珍しくはなか った。しかし、ここ、上の原では他地区とは少々異なった光景が見られた。 「そんなひねくれ者は嫌いだよ。道了さまに直してもらっておいで」と言って親は子供を外に追い出し、子供はトボトボと道了様(道了尊)への道を歩んだので ある。

  道了尊とは、焔光(えんこう)を背にし、白狐の上に立つカラス天狗で、手に節 木(ねじれぎ)をもつ石像(弘化三年・1846年奉再建当村中の銘を残す)で ある。 「家を追い出された子供は、こわさから、しぶしぶと道了様に向かうのだが、現 代と違い昔は家数も少なく、外は真っ暗闇。恐ろしいことこの上もない。だから みんな往還(道路)から道了様の方に手を合わせたもんだ。」

 恐ろしさが薬になってか、道了様のご利益からか、結構子供たちの心に素直さが 戻ってくれたと言い土地の年配者の中には体験者が多い。それだけに。。 「月のない夜のこわさは特別。二度とひねくれまいと思ったもんだよ。でも、今 はどの家でもやらなくなった。時代のせいかね」 と、当時をなつかしむように話す人もいる。

 子供の曲がった心、ひねくれた心を治すには、供えられたねじれ木を借り、祈願 成就の時に倍にして返すのがしきたりと言う。このしきたりによって、ねじれ木 を手にした親たちの道了尊詣での姿も当時よく見られたと言う。 道了尊は元来は山門守護の役にある。それが子供たちの性格治癒祈願の対象とさ れたのは道了尊が手にする節木(ねじれぎ)に由来するのだろう。

 ねじれ木を手に道了尊詣でをする親の姿、夜道をこわごわと尊像に向かう子供の 姿と言った、昔からの見慣れた光景は、今は全く跡絶えた、けれど、最近ではそ れにかわって青少年の健全育成を願う人々がねじれ木を手にして参詣する。 世の人々の願いも空しく、家庭内暴力や校内暴力等々、青少年の非行の実態が、 マスコミを賑わすことは多い、健全育成のために日夜腐心される人々が、道了尊 への祈願を思いついたからとて笑うことはできまい。

道了尊(どうりょうそん)・・・小学館発行の世界原色百科事典には 生没年不詳。

 室町時代の僧。あざなは妙覚、生国、俗姓も不詳。相模(かなが わ)の大雄山最乗寺の開山・了庵悲明に師事し、同寺の開創に尽力。1411年 (応永十八年)同寺護持の大願をおこして天狗となり白狐に乗って昇天したとい われる。のち、その時の姿をうつして一堂にまつり、これを道了薩唾(どうりょ うさった)・道了権現(どうりょうごんげん)・道了尊と号して山門の守護にし たという。小田原の道了尊と言って信仰される。と、ある。

参考 「道了尊」(どうりょうそん)

 梅田町の道了尊は身の丈81センチメートル。たくさんのねじれ木に囲まれて、 萩原寅次郎さん宅の庭にあり、子供たちの心の移り変わりを今も昔のままの姿で 見つめ続けている。 バス停「上の原」からおよそ百メートルの中居寄り。岡商店前には、市内でも貴 重な愛染明王塔が祭られている。その愛染明王塔から2軒上が萩原寅次郎さん宅 である。

 参拝に先だって家主に一言挨拶を・・・のエチケットを。。。守ってほしい。 像には 「道了大権現 大天狗 小天狗 弘化三丙年(1846年)十二月吉日 奉再建 立 当村中 世話人 今泉村 岩崎善兵衛 発願主 行者 嘉代一 当世話人 吉田丈右衛 門」 の銘が残されている。白狐や主尊は厚肉彫りだが、台座の団扇は線彫りとなって いる。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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