黒幣の天狗

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お茶ばあさん
山王天狗の戒め
塩之宮神社と小島家
神泉寺の不動明王
崇禅寺の阿弥陀如来
大力和尚
続・大力和尚
天神様の由来
乳仏観音
トンビ岩の異変
殿林の八幡様
椿森
長者塚
藁干観音伝説
桐生市立図書館にたった一冊しか残っていない
貴重な資料をここに掲載致します。
桐生の民話を後世に語り継ぐ為に…。


第二集・かっぱと飴玉はこちらから スタッフ紹介のページはこちら


梅田町

病のイボやこころのイボまで取り除くと地元に息づく
いぼ地蔵(いぼじぞう) 地図2 梅田一丁目 鳳仙寺
体にできるイボは、痛くはないけれど、なんとも邪魔なものです。そのイヤなイボが、鳳仙寺山門前のイボ地蔵様にお願いすると、取り除いてもらえるいう。それを聞いて、せせら笑う男が…。

天神様の由来 地図23 梅田五丁目
ひとしきりの雨足が軒を強くたたき始め、あたりの木々がイヤイヤをするように頭を左右に大きくふりだした。 『よく振るなア。この長雨に加えて、またまたこんなに強い降りー。なんだかいやな予感がする。何も起きなけりゃいいがな。』

忍山温泉の禁忌 地図18 梅田四丁目
忍山の湯を時には水に、時には熱湯にかえてしまった三度の変事…。この三度の変事に共通していることは、どれも不浄ということであった。

じゃひっつら 地図19 梅田四丁目
ほこりにまみれ、赤茶けた衣をまとった見るからにみす
ぼらしい雲水が、玄関口で読経を続けていた。あとでわかった事だが、それは弘法大師だった。。。

蛇留淵と三境坊 地図21 梅田五丁目
のどかで平和な山地村に、その平和をおびやかす事件がもちあがった。村の西方の山中に全身まっ白な大蛇が住みついて、村に出てきては家畜を襲い、畑の作物を荒すようになったのである。

黒弊の天狗 地図24 梅田五丁目
根本神社への信仰は幅広く、上は皇族、下は庶民にまで及んだ。とくに彦根公(大老・井伊直弼公)江戸屋敷の盛んな信仰を得、『井伊家祈願所』として往時はたいへんな隆盛をみた。この山深い地の小社に、天下の大老・彦根公が強い信心を寄せたのは、なぜ?

山の主の大蛇をうち殺したタタリ。。。。
金沢の大蛇伝 地図9 梅田一丁目
猟師が楽しみにしていた獲物は、なんと大蛇だったのである。猟師は大蛇の死骸
をその場に残したまま、力なく下山していった。楽しみが大きかっただけに落胆
も大きかったのであろう。


大力和尚 地図3 梅田1丁目
身体こそ小さいが、大変な力の持ち主で「力」にまつわる逸話(いつわ)を多くもつ和尚の大力ぶりは、遠く江戸にまでも響いていた。
この大力の噂(うわさ)を耳にした人の中に、これまた怪力を自慢としている力士があった。

続・大力和尚 地図4 梅田1丁目
江戸の力士との静かな力くらべで、いよいよ怪力の名を高めた桐生山西方寺の大力和尚。その怪力ぶりを伝える2つ目の話を今日は紹介したい。

山王天狗の戒め 地図5 梅田1丁目

「倅(せがれ)は、また夜遊びか。いくら説教しても言うことはきかないしー。一人息子がこうもグレてしまっては、わしらの老後が思いやられる。」 「小さい頃、甘やかしすぎたのが悪かったんですね。親を親とも思わないのですから。

馬頭塔と相馬三郎 地図6 梅田1丁目
世に言う「由比正雪の乱」の首謀者の一人、熊谷三郎兵衛がはるばる京から逃れてきて梅田の里で天寿を全うしたという伝えが、桐生に残されている。

居館の大力女 地図7 梅田1丁目
桐生城跡のそびえる村、梅田の里・居館に、進藤姓の某女が住んでいた。
彼女はまれに見る大力の持ち主だったが、それを表に出さず、常にしとやかにふるまっていたので、近所の人達でさえ彼女の大力には全く気付かなかったほどである。

旗竹のやぶ 地図8 梅田1丁目
関ヶ原合戦のために注文があった、二千四百匹の御旗絹が織り上がり、
徳川方に納められる時に太郎兵衛さんは、自宅の竹薮からたくさんの竹を切だし、
勝運を招く旗竹として添えていた。

小判の魅力にとりつかれた男の末路は。
九升坊 地図14 梅田2丁目
庄さんの夜の楽しみとは、床下にため込んだ小判との対面だった。乞食同然の生活、近隣との交際拒否も実はせっかくの小判を手元から離すのがつらかったことから生まれた知恵だったのである。庄さんは小判の魅力に取りつかれた男だったのである。

説法争いに負けた修験者の執念が大風を吹かす。
風の神様 地図15 梅田3丁目
「おうい、風の神様がやってきたぞぅ!」
「大風になるぞぅ!」
今まで仲良く遊んでいた大勢の子供たちが突然、口々にこう叫びあうと、まるで クモの子を散らすようにちりじりに走りだした。

歴史上名高い「宇治川の先陣争いの佐々木高綱の乗馬」は梅田の産だ。
名馬「池月」 地図16 梅田3丁目
その夜のうちに報告され、領主・桐生綱元公の耳に届いたことは言うまでもない。綱元公は大変に喜ばれ、さっそく使いを高園寺に走らせて、その名馬を買い上げた。 「名月の夜、池でからだを洗って磨き上げられて育った馬じゃ、池月と名付けようぞ」と、名馬に「池月」の名をつけて鎌倉の源 頼朝公に献上した。

門松の陰から矢を射られて惨死した紀伊守の子孫は門松なしの正月と言う 家訓を残した
門松なしの正月 地図22 梅田5丁目
やり場のないくやしさが、「このような不吉な門松は、藤生家には不用のも の。以後、一族は門松を立てることまかりならぬ。左様心得よ。」と言う厳しい 家訓を生むことになった。

言う事をきかない子供を家の外に追い出す親の心理は、もちろん、手にあまった 子供へのこらしめのための最後の手段ではあるが、、、
道了尊 地図17 梅田4丁目
「そんなひねくれ者は嫌いだよ。道了さまに直してもらっておいで」と言 って親は子供を外に追い出し、子供はトボトボと道了様(道了尊)への道を歩ん だのである。

天明の大飢饉が暴動を引き起こし、それに加わった領民は処刑された、残された家族の悲惨な最後。。
だいころしの滝 地図20 梅田5丁目
ダムの北側に、人の目に触れることもなく水音を響かせる一つの小爆布があった。滝の形が大根おろしに似ているからとか、檀家激減で寺が成り立たなくなった大涌寺(だいこじ)住職が、過去帳を背に滝つぼに身を投じた

送り狐 地図12 梅田2丁目
 「弥平さんもやられたっていうよ。肥えつぼの中で『いい風呂だ、いい風呂だ』って言っているところを助けられたそうな。」  「狐にいたずらされた人は、これで何人になるかね。」  「とにかく、こう続けざまじゃたまらないよ。栗生坂(くりゅうざか)の夜の一人歩きはやめにするこった。」

三峰の鐘 地図11 梅田1丁目
 「これは立派に仕上がったものだ。」  「この鐘ならば、秩父分地の鐘として、どこへ出しては恥ずかしくはないぞ。」
秩父分地・三峯山(桐生市梅田町一丁目金沢)では、里人念願のぼん鍾が完成し、その披露に多勢が寄って賑わいを見せていた。

金八地蔵 地図1 梅田1丁目
「荒神の大火」の犯人として処刑された金八さんは真犯人ではなかった

一瓶庚申 地図13 梅田2丁目
米一升、酒一升を供え、貧しい者は小石十個でもよい、願かけすればご利益をくださる


相生町

慈眼視衆生。。。観世音菩薩のあたたかな民話
乳仏観音(ちぼとけかんのん) 地図27 相生町五丁目
貧しき故に生まれたばかりの赤ん坊に飲ませる乳が出ず、おも湯をつくる米さえ底をついてしまった母親。その母親があてもない、もらい乳に村内を巡り…。

赤城山に腰をおろし一休みした巨人の足あと伝説
足仲の由来 地図26 相生2丁目
村人たちは、だしぬけの異変に、一様に仕事の手を休めて「おや?」という ふうに空を見上げた。 空を見上げた村人たちは、あまりの状況に、びっくり仰天をしクモの子を散らしたようにその場から、一目散に逃げだした。 日陰を作ったのは雲でなく、なんと雲つくような巨人だったからである。

愛宕神社の水鉢 地図25 相生2丁目
慶応4年、当時の横綱・秀ノ山雷五郎の出した『4本柱免許状』が伝えられている神社が、桐生市相生町2丁目にある。旧字下新田の愛宕神社がそれである。 愛宕神社は、万治元年(1658)9月の創建で、祭神は火産霊神ほか9柱。この神社の境内には、大きな水鉢(手洗い石鉢)が今も覆屋内に見られる。

川内町

相撲狂の天狗のこどもか、不思議な小僧
降臨石の小僧 地図31 川内5丁目
あるとき、たきぎ拾いを言いつけられた一人の子供が、降臨石の近くを通りかかると、岩の上に見知らぬ小僧がひとり腰掛けていて、 「おーい、おいらと相撲をとらないか」

須永のムロ地蔵 地図29 川内三丁目
この地蔵菩薩となったご仁は、生前、ある事件の容疑者として捕えられ、役人たちから厳しいお取り調べを受けた。
しかし、その容疑が晴れないまま、この世に恨みを残して獄死してしまった。
いわゆる縄つき人だったのである。

阿弥陀如来像の造像を手伝った二人の僧は、仏の化身だった。
崇禅寺の阿弥陀如来 地図28 川内2丁目
三十七日間の参籠祈願萬願の暁に春日明神から不思議な夢のお告げと小太刀ひと振りを与えられた仏師・賢門子(けんもんし)は、心新たにして早速懸命の阿弥陀如来の造像にとりかかった。

修験者の喜捨を断わったがために次々に起こる不吉な事件
めこぼし地の五輪塔川内町5丁目
江戸時代も中頃のこと、川内村名久木で名主の高草木某が突然に発狂し、家宝の太刀を振り回しながら、近くの赤城神社に乱入。

菱町

農民のいのりが奇蹟をもたらした
藁干観音(わらぼしかんのん) 地図34 菱町四丁目・普門寺
普門寺本堂への長く続く石段を途中から左へ折れると、人々に親しまれている藁干観音がある…この庶民的な愛称が贈られたのは、こんな出来事に由来する。

参篭して一心にお願いすると、お稲荷さまが痛みを取り除く灸のツボを教えてくれる
灸点稲荷 地図33 菱町三丁目

あわや、賊の刃に切られたと覚悟したとき、身代わりになった観音さま
身代わり観音 地図35 菱町二丁目
賊が凄まじい形相で 迫った時は「いよいよ最後」と覚悟をし目をつむったほどだった。 と、突然にするどい金属音が源右衛門の耳を貫いた。見ると切られたはずのわが 身は無事で、眼前に真っ二つなった像が転がっており、すでに賊の姿は消えてい た。

荒神の大火から青木家を護ったオロチ
風穴 地図32 菱町黒川
市内を延々と流れるこの桐生川に、まるでまつわりつくかのように広がる大地。そこに菱町がある。桐生市の地図を広げると、その菱町の東に「風穴」と言う変わった地名がしるされている。 この風穴に、珍しい大蛇伝説が地名の由来として現在に伝承されている。

梨の実と孝子伝 地図38 菱町上菱

魔物が住む山頂の梨の実を母に食べさせなければ病気は治らない。
三兄弟の決死の登山を山神が助けた。

奥州、塩竃神社の分身と言われる由来
塩之宮神社と小島家 地図37 菱町上菱
梅田中学校の北側、桐生川の対岸を望むと、樹間にひときわ鮮やかな、赤い大きな屋根が見られる。旧村社、塩之宮神社である。新田徳純(にったとくすみ)書といわれる「正一位塩之宮神社」の大篇額、猿田彦之神をまつる「安産信奉の神社」として広く知られる、この塩之宮神社にこんな物語が残されている。

茂倉竜紋の織物を教えた織姫は竜だった
茂倉竜紋とケンヅメ石 地図36 菱町上菱
戦国の世の昔、鎧の下着地として諸国の武将達から大変もてはやされた「茂倉竜紋」と言う織物があった。とても丈夫で、「茂倉竜紋は勝運を招く」と信じられ、応じきれないほどの注文があったと伝える。その縁起の良い織物、「茂倉竜紋」が往時、桐生の里で盛況裡に生産されていたのである。

境野町

何度も襲った洪水にもご本尊の阿弥陀如来は無事だった。
本然寺本尊縁起 地図39 境野一丁目

たいへんな豪雨が桐生・新町を襲い、新川はたちまち増水してご本尊様が、、、。

月もない真っ暗な夜、樹齢数百年の大木から妙な音が。。
クダ巻き婆さんの贈り物 地図41 境野町2丁目

名家 桐生氏の滅亡秘話
福田八幡(ふくだはちまん) 地図42 境野町2丁目
天正元年(1573年)三月十二日・・・。水争いから端を発した桐生 ・由良両家の合戦は、名家桐生氏の滅亡という結果で終わった。桐生氏 の敗戦の原因は、家中の不和であったと言う。

振り髪天神(ふりがみてんじん) 地図44 境野町7丁目
むかしのこと、現在の桐生市境野町七丁目の桐生川と渡良瀬川とが合流 するあたりに、うっそうと樹々を生い繁らせた暗くて深い森があった。
ここは迷い込んだら最後、絶対に外に出られないと言われ、里人たちも 近寄ることを嫌ったほどだった。

塚を発掘したら出土した壷の中に赤い水が。。
長者塚(ちょうじゃづか)  境野町7丁目
一様に両の目を手の甲でグリグリッとやって見た。 それからもう一度、壷を斜めにして赤い水を注いだ。 里人の目のせいではなかった。やはり先ほどと同じく、たしかに小川の 水がいっぱいに赤く染まって流れたのである。 「み、皆の衆、これは・・・」

伐り倒された「サトンゴ」の木の根本からたくさんの人骨があらわれた。。
殿林の八幡様 地図40 境野町1丁目
桐生市境野町一丁目に、かつて「殿林の八幡様」として里人にあがめられた石宮があった。その石宮はすでにない。しかし、八幡様にまつわる伝承は、今でも、里人の茶のみ話に時々登場するのである。 そぼ伝承とは・・・

広沢町

最愛の姫を失った奥方のなげきはいかばかり。。。
椿森 地図48 広沢六丁目 
「姫、かわいいそなたを失ったこの母の嘆きと、そなたに寄せる変わらぬ愛とが、万が一にも地下に眠るそなたに届いたならば、その証(あかし)に、ここにさした椿の枝に根をのばさせ給え。

神泉寺の不動明王 地図47 広沢2丁目

このお寺に参詣して、頂いたお札を妊婦の腹部に巻いておけば、安産まちがいなしと伝えられていたが今はすっかりさびれてしまった。。。。

大同掘の石橋 地図45 広沢1丁目

粗末な木橋は川が荒れる度に流されてしまう。
愛宕神の水鉢の残りの石で造った石橋がみんなの難儀を救った。

初午まつりを欠かさず行っていた家が奇蹟的に焼け残った。
初午の由来(はつうまのゆらい) 地図49 (広沢町7丁目)
明治の御代も半ばを過ぎたある年のことだった。ちらほらと冬の便りも聞 こえてくる十二月の初旬。この日は、旧のゑびす講の日とあって、近隣の 人々は、着物のえりに顔を埋めるようにして寒空の中へ飛びだし、夜のと ばりの中へ姿を消していった。そんな時と言うものは、得てして事件がおきるものである。

戦地に赴く男衆のために十日夜祭りを一日早めた。
九日夜の餅(ここのかんやの餅) 地図50 (広沢町全域)
寛治元年(1087年)清原家衡と武衡の挙兵によって起きた出羽の乱 を平定すべく、奥州へ向かう途中、八幡太郎義家公は、広沢村の地へし ばし足をとどめられた。旧暦十月初旬のことだった。 義家公は村に入ると、直ちに人足として村内の男衆を多勢召し抱えられた。

おいしそうな柿の実だがこれを食べれば命がない。こども達が誤って食べても罰を与えないで・・と親たちは明神さまを祭った。
柿塚明神 地図46 広沢町1丁目
柿の木は、暑い夏がすぎ、ススキの穂が頭をゆする頃になると、毎年たくさんの赤い実を枝いっぱいにみのらせた。それはうまそうな大きな赤い実だった。しかし、近所の人たちは、誰ひとりとしてその実を取ろうとはしなかった。

東町

「日を限ってお願いをすると日限までに叶えてくださる」そうな。。
日限地蔵(ひぎりじぞう) 地図52 東二丁目
気味の悪い坊主頭が、機屋(はたや)さんにたびたび現われるので、織り子たちは気になって仕事も手につかない。そこで主人は、火縄銃で坊主を。そしたらなんと、その坊主とは…。

『県指定天然記念物・桐生大炊介手植えのやなぎ』由来
アカメヤナギ 地図54 東七丁目
緑がまぶしく目に映る初夏・・・今日も東七丁目の「清水町児童遊園 地」では、元気な声をあたりに響かせ、コマネズミのようにすばしこ く動き回るこども達の姿があって、通りがかりの大人達のあゆみをい っとき止めさせていた。

医者に見放された眼病に光りがもどった奇蹟・・・
お茶ばあさん 地図51 東二丁目
老婆の目に光りがもどる・・・・この話は、たちまちにして近郷近在にひろまって行った。そして以来、「トゲ抜きのお茶ばあさん」に「眼病治すお茶ばあさん」の名が加わって、以前に倍する善男善女が、墓前で祈願するようになったのである。

心臓発作で悶絶し夢の中でさまよい歩くうち、観世音菩薩の功力で蘇生
岩崎観音堂 地図53 東5丁目
重綱公が鷹狩りのおり、喉の渇きを覚え、土地の名家.岩崎大六宅に立ちより、茶を所望したところ、大六の娘が湧き出る清水を汲んで茶を立てて差し上げた。その茶があまりにも美味であったことから、重綱公が大よろこびされ命名したと言う言い伝えを残している。

新宿町

新宿の大火で「金の袈裟」は永遠の謎をのこして。。
呑竜様の袈裟 地図57 新宿3丁目
呑竜さまには、大切な寺宝が三つあった。一つは伝良心作の本尊・阿弥陀如来像、二つ目は呑竜さまと呼ばれるもととなった大光院・呑竜上人の分身(位牌)、そして三つ目は金で織られた袈裟だった。

分身本物説 地図56 新宿3丁目

どちらが本物でも良いではないか。

八幡様と池 地図55 新宿2丁目

「この町内には、池つくり禁忌伝説があり、人々がそれを守っているからさ。」 と土地の古老は、こともなげに言う。なぜ、池を作ってはいけないのか? それはかつてあったこんな事件に起因する。

宮本町・他

不浄のワラジ履き登山に山神が怒った。
とんび岩の異変 地図59 宮本町四丁目

御神木に現われた白狐が干ばつを救った。
常木稲荷の神異 地図59 仲町三丁目

人喰い川 地図60 琴平町
こどもを行方知れずにしてしまう恐ろしい川新宿通りの西側を幅2メートルほどの小川がながれる。渡良瀬川から分かれて下る小川だが、親元を離れるのをいやがるダダッコのように、この小川は、どこまでも渡良瀬川と並んで流れている。

「黒幣の天狗」著者 郷土史研究家 清水義男氏の紹介

○昭和9年(1934年)1月 桐生市に生まれる
○群馬大学工業短大第一期卒業
○梅田村立梅田南小を振り出しに桐生市立南小・同東小・太田 市 立強戸小・桐生市立神明小・桐生市教委社会教育課・桐生 市立梅 田南小学校教頭・同天沼小学校教頭・同桜木小学校長を最後に退職、 教職歴40年。

○著書には、民話集、楽しい窓、ふるさとの昔ばなし(1)ー(2) 、桐生市北部の石仏、石仏拝見シリーズ(梅田、川内・相生・広沢・ 東・強戸)のほか、学級新聞を作ろう、学校新聞作りマニュアル(東 京法規出版・共著)、根本信仰、郷土に光をかかげた人々(県教委・ 共著)等がある。現在桐生市教育史を執筆中。

○現在の役職
 保護司
 桐生市郷土資料展示ホール調査協力員
 ふるさと桐生のあゆみ執筆委員
 両毛五地区学校新聞研究協議会顧問


これから順次作成していきますので、どうぞお楽しみに…


スタッフ紹介のページ
取材・撮影 小川広夫
ホームページ作成 斉藤茂子
プロデューサー 塩崎泰夫

  
『桐生の民話を後世に語り継ぐ』プロジェクトよりお知らせ!
このホームページを完成させる為に、皆さんのご協力が欲しいのです。写真撮影、テキストデータの入力等、楽しい(?)仕事がたくさんあります。


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桐生広域インターネット協議会事務局


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