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 pho6.jpg生天満宮の御開帳の飾り物として上演されたからくり人形による芝居は、「からくり芝居」と呼ばれ、江戸の伝統文化の桐生の織物技術が結び付き、桐生の地に根付いたものと考えられます。天満宮の御開帳は、嘉永5年(1852)に始まり、昭和36年を最後に計8回が記録として残されております。
 御開帳の飾り物(見世物)としてからくり芝居がいつ頃から興行さらていたのかは明らかではありませんが、江戸と桐生の織物を通じての関わりから、江戸での興行の影響を受け、いち早く、受け入れしていたことが想像できるものです。
 からくり人形の研究者の間では、からくり芝居も時代と共に衰退し、全く途絶え、消えてしまったと思われていたそうでありますが、偶然の機会に桐生市の「からくり芝居」が人形と背景も含めて再発見となりましたからくり芝居の現存例については、全国的にも数少なく、その中でも特に貴重なものであるとの評価を得ています。
 日本芸能史を物語る貴重な文化遺産がこの桐生に存在していたということにつきましては、桐生の一般大衆の伝統文化に対する情熱の結集をみる思いでもあり、改めて敬服するものであります。

らくり人形は、その構造などから、1.祭り・山車からくり  2.ざしきからくり  3.芝居からくりに分類されています。桐生からくり人形はそのなかでも「芝居からくり」と呼ばれるもので、人形史の中では全くその現存例が無く、空白の部分となっていたものです。
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形を動かす動力としてはバネやゼンマイを使用したり、糸繰り、人手によって動かされていますが、芝居からくりでは水車などを動力として使います。このことより「水車からくり」とも呼ばれています。桐生からくり芝居」でも大正5年までは水車を動力としていました。この水車から人形までの動力の伝達には、各種の歯車、ベルトやチェーンを使用していましたが、桐生織物の技(座繰り、八丁燃糸など)を活用し、高度な技術により精巧な人形や仕掛けを創り上げたことが想像できます。大正5年以降はモーターを使用していたようです。人形についても、江戸文化を受け継ぎ、生人形師の伝統と技を見ることが出来る非常に優れた作品との評価を受けているものです。

 桐生からくり人形研究会では、からくり芝居の存在を明らかにし、全国に誇る桐生市の貴重な財産(宝)として、その希少性、貴重性を示すことにより、伝統文化への認識を新たにし、その芸術、技術とともに、次世代への継承の一助をしようと調査・研究しております。



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