reki.jpg

生天満宮の御開帳の飾り物(見世物)として興行された「からくり芝居」は、江戸初期、寛文2年(1662)に大阪に始まった竹田出雲のからくり芝居の系譜を引き継ぐものとなっている。竹田出雲は近松門左衛門らと、文楽や歌舞伎の戯作や舞台演出などにも功績を残していることで知られるからくり師である。
からくり芝居は抑圧された江戸の科学、技術の発露として、また庶民の好奇の対象として江戸から明治時代まで流行していたことで知られている。

生からくり芝居においては、残されている記録によれば、天満宮の飾り物として興行されたのは明治27年(1894)、江戸浅草奥山の人形師である竹田縫之助による生人形からくり芝居が最初であることが知られている。縫之助は竹田出雲の末裔である。その頃東京では既にからくり芝居は終焉を迎えていた。その名残りを受けた桐生ではその後昭和36年までの間6回の興行がおこなわれているが、江戸文化と桐生の織物の技術が融合した最高芸術品となっている。pho5.jpg

形が動くというかとが「からくり」であり、簡単な動作であっても江戸初期の一般庶民の間では非常に盛況であったことが知られている。人形を動かす動力としてはバネやゼンマイを使用したり、糸繰り、人手によって動かされているが、芝居からくりでは水車などが使われている。桐生では大正5年までは水車を動力とし、以降はモーターを使用している。このことより水車からくりとも呼ばれている。この水車から人形までの動力の伝達には、各種の歯車、ベルトやチェーンを使用していたが、桐生織物の技(座繰り、八丁燃糸など)を活用し、高度な技術により精巧な人形や仕掛けを創り上げたことが想像できるものです。人形については、江戸文化を受け継ぐものであり、生人形師の伝統と技を見ることが出来る非常に優れた作品との評価を受けているものです。



Image.jpg ←メールはこちらへ
modoru.gifホームへもどる
Copyright @ 桐生からくり人形研究会