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桐生天満宮の御開帳の飾り物として上演されたからくり人形による芝居は、「からくり芝居」と呼ばれ、江戸の伝統文化の桐生の織物技術が結び付き、桐生の地に根付いたものと考えられます。天満宮の御開帳は、嘉永5年(1852)に始まり、昭和36年を最後に計8回が記録として残されております。
御開帳の飾り物(見世物)としてからくり芝居がいつ頃から興行さらていたのかは明らかではありませんが、江戸と桐生の織物を通じての関わりから、江戸での興行の影響を受け、いち早く、受け入れしていたことが像できるものです。


  • 嘉永5年(1852)
    3月11日より
    《東宮》「宇治川」
    《1町目》「浦島太郎」
    《2町目》「唐子遊諸芸他」
    《3町目》「宗清」
    《4町目》「夏祭りの図」
    《5町目》「妹背山」
    《6町目》「千代萩御殿場」
    《横町》「石狗犬奉納」




  • 明治11年(1878)
    《4町目》「西郷桐野篠原奮戦の場」
    “(餝物師) 佐野町 新藤駒吉”











  • 明治27年(1894)
    4月10日より29日まで日まで
    《天満宮》「三国志」
    《1町目》「業平郷東都下り」
    《2町目》「義経千本桜」
    《3町目》「富士の巻狩り」
    《4町目》「大江山千丈嶽頼光山入の場」
    “(生人形師) 浅草 竹田縫之助”
    “(器機師/水車応用) 岩崎英造”

    《5町目》「近江湖水明智左馬介乗切場」
    《6町目》「義経鴨越坂おとしの場」
    《盛運橋際》「大鳥居木製石形(高さ2丈7尺、笠巾6間
    《西安楽士》「杉葉の鳥居(高さ2丈7尺、笠巾6間
  • 明治35年(1902)
    4月15日より5月4日まで
    《天満宮》
    《1町目》「常盤御前」
    《2町目》「本朝二十四考」
    《3町目》「坂田金時」
    《4町目》「新田四郎人穴探検」
    《5町目》「曽我夜討ち」
    《6町目》「天笠徳兵平 菊池御殿の場」
    “(餝物引受人) 深津芳五郎”
    人形/徳兵平(1尺2寸)・従者(1尺)
    ・大蛙(1尺)
    《西安楽士》「菅公」
    《宮元》「桃太郎」
    《常木神社》「本朝二十四考狐火」



  • 大正5年(1916)
    4月10日より30日まで
    《天満宮》「千代萩」
    《1町目》「千代の花園」
    《2町目》「安達ケ原」
    《3町目》「勿来の関」
    《4町目》「赤垣源蔵」
    《5町目》「戻り橋」
    《6町目》「菅原天神記 車引の場」
    “(餝物引受人) 深津芳五郎(花芳)”
    《常木神社》「児雷也」








  • 昭和3年(1928)
    4月10日より25日まで
    《天満宮》「宇治川先陣」
    《1町目》「義士討入」
    《2町目》「弁慶五条橋」
    《3町目》「道灌 山吹の里」
    《4町目》「曽我夜討」
    《5町目》「佐倉宗五郎」
    《6町目》「慶安大平記 丸橋忠弥堀端の場」
    “(機械) 田辺善次”
    “(人形・背景・小道具)武州本庄 米福人形師”

    《新宿錦町》「三段返廓の達引」
    《新宿呑竜様》「天の岩戸開き」
    《末広町》「勧進帳」
    《常木稲荷》「吉野山」
    《浜松町》「相場宮御所」
    《寂光院》「佐渡塚原三味堂」
    《三輪神社》「楠木正行如意寺堂」
    《小林氷蔵》「春の行楽」
  • 昭和27年(1952)
    4月20日より5月11日まで
    《天満宮》「巌流島/宮本武蔵」
    《1町目》「義士の討ち入り 庭内の場」
    《2町目》「五条橋 牛若丸」
    《3町目》「助六揚屋の段」
    《4町目》「曽我の夜討ち」
    《5町目》「源氏物語 藤壷」
    《6町目》「野崎村 お染久松」 
    《新宿通》「鞍馬山  牛若丸」
    《新宿呑竜様》「天の岩戸開き」
    《錦町》「将門山」」
    《浜松町》「竜宮城」
    《末広町》「菅原道真公像」
    《ロータリー》「歓迎門」
  • 昭和36年(1961)
    4月25日より5月8日まで
    《天満宮》「羽衣/コロンビアローズ、朝倉ゆりの人形が歌をうたう」
    《1町目》「歌磨」
    《2町目》「大阪夏の陣 板崎出羽守」
    《3町目》「ディズニーランド」
    《4町目》「曽我の夜討」
    《5町目》「八百屋お七」
    《6町目》「一本刀土俵入り」 
    《錦町》「竹原人形  名木千代萩」
    《末広町》「潮来笠 橋幸夫の人形が潮来笠」






これらの記録より各地の『餝物師』『生人形師』『器機師』などが呼び寄せられていた事がわかります。

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