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28.名馬『小菊』

《第28話・菱町二丁目》
名馬「小雀」物語
自刃の主人に殉じる
命日に「ひづめ」の音

 天文十三年(1544)三月二日の夜のことでした。その夜、菱の領主・細川内膳公の館では、姫の桃の節句を祝う宴げが、家臣勢ぞろいで盛大に繰り広げられていました。その華やいだ宴げに興ずる細川館に、突如として、津布久常陸介を大将とする桐生氏の軍勢が、鬨(とき)の声を挙げて雪崩(なだれ)込んできたのです。

 細川家は、京の都から、その器量を認められ、小俣城主に乞われて、はるばる菱の地にまでやってこられたほどの名家です。家宝も多々ありました。その細川家で内膳公が最も自慢にしていた「宝」が、小雀(こすずめ)という名馬でした。

 去る日、桐生領主・大炊介公が、内膳公に、その細川家ご自慢の名馬「小雀」を所望したことがありました。

 けれども、

「ほかの品なればともかく、小雀だけは………。八条殿から拝領の名馬であり、細川家の宝なれば、その儀ばかりはなにとぞご容赦の程を。」

と、内膳公から体よく断られたいきさつがあったのです。

 この夜の細川館襲撃は、大炊介公が、そのときの無念さを晴らすため、また、それを口実に旧桐生領であった菱の地を再び傘下に治めるためにと目論での夜討だったのかも知れません。

 細川家の家臣たちも、盃を弓矢や太刀に持ち変えて、すぐさま応戦しましたが、悲しいかな、宴げの祝い酒のために足ももつれがち。加えて、備えの手薄さもあって、桐生勢に抗することもままならず、ひとたまりもなくけ散らされてしまいました。

 内膳公ご夫妻は、戦況利あらずと、ひそかに館を抜け出して、細川家菩提寺・西膳院(さいぜんいん)まで逃れました。しかし、戦況の立て直しは不能と悟られると、

「細川家の命運も、もはや、これまで。」

と、奥方様」ともども、その場で自刃して果てられてしまわれました。

 ◇   ◇   ◇

 細川館夜襲が大成功に終わって、大炊介公は、長い間願望していた小雀に加えて、菱の領地までも一挙に手にするという大勝利に酔いました。が、それは、すぐ後にやってきた小雀の死という悲報に、束の間の喜び、束の間の夢にと暗転してしまったのです。

 強引ともいえる方法(夜襲)で手に入れた小雀が、西膳院の前までやってきたとき、突然に暴れ出しました。そして、クツワを持っていた侍をはねとばすと、目の前の池を目がけて疾走し、そのほとりで卒倒死してしまったのです。それも、小雀は舌を噛み切っての見事な最期でした。しかも、小雀の死は、ご主人・内膳公の死と時を同じくするという、まことに涙を誘う哀れな最期でもありました。人間に勝るとも劣らない、小雀の最期………。この素晴らしい名馬の死に、大炊介公が落胆するのも、わかろうというものです。

 後日、この小雀の最期の様子を耳にした里人は、

「畜生でありながら、二君に仕えずとは見上げたものだ。その心がけは、まことに立派!」

と、里の中が落ち着きを取り戻すのももどかしそうに、早速、西膳院の近くにお堂を建立しました。そして、そこへ小雀を馬頭観音としてお祀りしました。それが現在、消防分団詰所裏に見られる「小雀観音堂」なのです。

 実は、はじめに観音堂が建てられた場所は、分団詰所前の「菱の礎石」のところでした。ところが、観音堂建立後、乗馬のままでお堂前を通り過ぎようとする人が、なぜか落馬させられるという事故が、続出するようになってしまったのです。観音堂の建立前には一度としてなかったことです。

「こりゃあ、地下の小雀が内膳様を背にしていたころのことが、どうしても忘れられず、わるさをするに違いない。かわいそうだから、お堂を乗馬姿の見えないところへ移してやろうじゃないか。」

 里人たちは、こう話し合い、現在の位置へ観音堂を移築したのです。

 ◇   ◇   ◇

 小雀ほしさから、無理やりに細川家を滅ぼし、あげくの果てに内膳公ご夫妻までも死に至らしめた桐生氏の横暴………。

 小雀の怒り、領民の怒りは、いかばかりだったでしょうか。

 事件から間もなく五百年の歳月が去ろうとしている今日にあって、なおも、

「桐生の奴ら、小雀欲しさに内膳様を殺しやがって………。」

 こんな激しい口調で桐生氏を非難する言葉が、地元の高齢者の口から聞かされることがあります。そこには、当時の人々のなんともやり場のなかった「怒りの姿」を見る思いがします。

「三月二日の夜になると、夜空にひづめの音がこだまし、悲しそうな馬のいななきが聞こえる。」

という、不思議な現象を伝える「小雀にまつわる、もう一つの哀話」ともどもに、「名馬・小雀物語」は、菱の地域に今も生き生きと生き続けているのです。

《小雀(こすずめ)》

 八条近江守房繁は、馬術の小笠原流の一人者であった。その八条殿が、技量群を抜く細川内膳公を賞でて与えた馬が小雀である。このことは、桐生城物語(田村春荘・編)に「八条殿乗領の駿馬・小雀を螺鈿の鞍をおいたまま内膳に与える。」と記述されている。このことからしても、内膳公にとって、小雀は、単なる宝もの以上であったということが伺い知れる。

◆道案内◆桐生川に架かる幸橋(さいわいばし)を渡って東へ進み、市立菱小前を過ぎると間もなく、黒川手前の左手に周藤酒店が見られる。その周藤酒店となりの道を左折し、菱町郵便局のところで再度左折して進んだ突き当たり(小堀マンション隣り)に小雀観音堂は安置されている。

 

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