賀茂さま蛇
養蚕家の守り神
御神使はアオダイショウ
神様の御神使(おつかいひめ)としては、神馬や竜、キツネ、猿などが一般的で、人々に広く知られています。ところが、中には変わった動物を御神使にしている神様も、見つけてみますと結構あるものです。尾の切れたアオダイショウを御神使にしている広沢町6丁目の賀茂神社も、この変わった動物を御神使にしている神社の部類に入りましょう。
賀茂神社は、上野十二社(こうずけじゅうにしゃ)の一つに挙げられている名社です。それだけに折りにふれては、この賀茂神社に詣でる「十二社参り」の人の群れが見られます。その参拝者たちの中で、この神社の御神使がアオダイショ………それも、尾の切れたアオダイショウだと承知して手を合わせている人がどのくらいいるのでしょうか。
広沢町は、今は国道50号線と122号線とが町を縦断して、水戸や熊谷方面へと伸び、桐生市内でも有数の交通量を誇る町となりました。また、大きな会社や商店をかかえ、さらに人家が林立する活気のあふれる町にも発展しました。が、むかしは、養蚕を主産業とし、緑の桑畑があたり一面に広がった、のどかで静かな農村風景が描き出されていた地域だったのです。
養蚕が盛んだったころの広沢の農家では、みなカイコの一匹々々を「おこさま」と呼んで、文字どおり、我が子同様に大切に大切に慈しみ育て上げていました。その大切に育て上げた「おこさま」が、時として、一晩で全滅という非運に見舞われることが、当時はありました。犯人は、カイコの天敵のネズミでした。
間もなく上簇というときにでもなって、こんな被害にあっては、養蚕家は悔しさから血を吐くほどのつらい思いをしました。もちろん、寝る間をも惜しんで育て上げてきた大事な宝物が、アッという間に奪われてしまうのですから、あきらめ切れない悔しさもありました。けれど、なによりも一家のその後の生活が、根底から覆されてしまうのですからなおさらでした。
この養蚕シーズン中、天敵駆除に大いに活躍をしてくれたのが、実はアオダイショウだったのです。アオダイショウは、「おこさま」にはまったくいたずらはしないで、ネズミだけを追い求めてくれたのです。ですから、このアオダイショウを御神使にしている賀茂神社には、当然のことながら大勢の養蚕家たちが集まり、盛んに祈願をするようになったのです。言うまでもなく、天敵であるネズミの駆除を願う人々の群れでした。
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しかし、賀茂の神様だとて、祈願者があまりにも大勢すぎては、一人では、とても手が回りきりません。だからといって全部の御神使を養蚕家全員に遣わすこともできません。賀茂の神様は、よくよく考えられた末に「蛇の絵馬」を使って、祈願者にご利益を分け与えることにしたのです。養蚕家たちが、カイコの無事を願って、神様から絵馬をお借りして、家へ持ち帰り、シーズン中、養蚕の「お守り」にするという風習は、このようにして生まれたものでした。
蛇の絵馬………この絵馬のネズミ駆除へのご利益は素晴らしいものでした。絵馬でさえ、それくらいでしたから、生きた本物のアオダイショウは、養蚕家には一層珍重されました。ですから、家の中にアオダイショウが姿を見せようものなら、人々は、
「それ、賀茂さま蛇がおい出になられた。」
と言って喜び、どんなことがあっても、決して危害を加えることはしませんでした。
「もし、誤ってでもアオダイショウを殺したり傷つけたりしようものなら、たちまちタタリを破り、熱を出して大変に苦しまなくてはならないんだよ。だから、決してアオダイショウをいじめてはいけない。」
という言い伝えをも生んで、たとえ子供であっても絶対にアオダイショウいじめはしないようにしつけられました。
「私の娘時代は、まだ、まわりが田んぼだらけ、草だらけだったもんですから、けっこうアオダイショウがいましてね。ですから、随分と天井をはい回るアオダイショウの姿もみかけましたよ。
(写真は賀茂神社の社殿の奥にある石碑)
気味が悪いし、第一、恐ろしくてねえ。でも、その アオダイショウを決していじめたり追い払ったりはしませんでしたよ。子供心にもタタリが怖いという気持ちが強くありましたからね。」
と、古老たちも幼かったころを思い返して、こんなふうに語っていました。
養蚕家の願いがかなって、無事に繭が仕上があった場合は、新しい絵馬を添えて借りて来た絵馬と一緒に賀茂神社にお返しするのが習わしで、一時期は社前に大量の絵馬が下がりました。しかし、養蚕の廃れとともに、この絵馬も暫時減少し、同時に今は伝承そのものも影が薄くなってしまいました。
式内社・賀茂神社には、この他に「白馬を忌む」「鍛冶屋(かじや)を忌む」「桶屋(おけや)を忌む」といった禁忌伝承も残されています。が、白馬も鍛冶屋も桶屋も、目にすることが大変に少なくなってしまっている現代だけに、「賀茂さま蛇」伝承同様に、これらが人々の話題にのぼることも極度に少なくなっているのが実情です。「消えゆく禁忌伝承………」しかし、幾多の伝承をこのまま消滅させてしまうでは本当に惜しい限りです。
《賀茂神社(かもじんじゃ)》
賀茂神社は、延喜式神名帳記載の上野十二社のひとつで、その小社である。陽成天皇の元慶四年(880)に神位が正五位下勲十二等になったことがみられる。
「御箒神事(みかがりしんじ・火投げ神事)」と「太々神楽(だいだいかぐら)」は有名。