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29.「跳滝」の由来
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29.「跳滝」の由来

<第29話・菱町5丁目>
「跳滝」の由来
必死で跳んだお姫様
討手を逃れて対岸へ


 天正元年(1573)3月12日払暁(ふつぎょう、明け方)、太田金山・由良の軍勢が、ヒタヒタと桐生領内への進攻を始め、すでに一部では砦が由良氏によって撃ち破られたとの報が、桐生城へ届けられました。桐生方にとっては、まさに寝耳に水。家中の驚きは頂点に達しました。


 合戦・・・・・。隣領の由良氏とは、まさに一触即発の状態にあっただけに、桐生方でも、「近々合戦となろう」ことは予想していました。しかし、まさか、これほどに早い日に合戦となろうとは・・・・・。
 代々、桐生氏は、北関東の雄と称えられてきました。けれど、親綱公の代になってからは、とかく譜代の家臣と佐野から親綱公に付き添って来た家臣との間で、つねに摩擦が絶えず、ちかごろの桐生氏は家中の和を欠きがちでした。しかし、由良勢の襲来とあっては、桐生勢は、家中不統一な状態のままでも出陣せざるを得ませんでした。


wpe99.jpg (18223 バイト) 由良氏との合戦が、こうも突然にやってこようとは、思っていなかった桐生勢、家中の足並みが乱れたままの桐生勢とあれば、結果は戦の始まる前からすでにわかっていました。ですから、戦場から知らされることは、予想どおり、すべて敗走の報ばかり・・・。払暁から始まった合戦も、はや昼下がりには、由良勢の猛攻に抗する術(すべ)のないままに、桐生方は総崩れとなってしまいました。

(写真は現在の跳滝橋)


 桐生城本丸には、ついに火の手が・・・。その燃え上がる本丸から、ひそかに足早に抜け出して行く男女の一行がありました。それは、家臣・女中衆数人が付き添っただけの桐生家姫君の一行でした。昨日までの栄華な生活が一変して、今や姫君一行は、迫り来る由良の追手の足音を背後にヒシヒシと感じ取りながら、桐生川沿いに北へ北へと、その歩みを急がせる落人の身となってしまったのです。


 由良の追手から少しでも遠くへ、少しでも安全な地へ離れようと、足を急がせる姫君の一行・・・。ところが、間もなくして、その一行の歩みがハタと止まってしまいました。目の前に、まるで覆いかぶさるかのように、そそり立つ岳の堂(たけのどう)の山々が行く手を阻んでしまったのです。おまけに左手には轟々と大音を響かせる桐生川の大瀑布が口を開けていたからです。しかし、背後からは、由良の追手がヒタヒタと迫ってくるのが感じられます。ちゅうちょは、もはや少しも許されません。意を決した姫君一行は、地響きのする岩壁に次々と立ちました。


 落ちのびる途中とはいえ、姫は、城に火の手が上がる最中(さなか)、着の身着のまま、急ぎ城から脱出してきた身です。しかも、一国の領主の姫君です。幾重ねかの長い着物をまとっていました。その姿であっても、安全な土地に落ちのびる最良の策は、対岸の岩へ向かって大瀑布を跳ぶことしか方法がないのです。
 一行は、しばし祈念の後、まず姫君が身をひるがえして大瀑布の上を舞い跳びました。休む間もなく、家臣たちも次々と身を舞わせました。一心とは恐ろしいものです。なんと姫君一行は、一人として滝つぼに落ちる事なく、全員が無事に大瀑布を跳び越え、対岸の梅田の里へと落ちて行くことができたのです。


 程なくして、由良の追手がこの場に駆けつけました。そして、梅田の里を奥へ奥へと落ちて行く姫君一行の姿を目にしました。けれど追手は、ただ地だんだ踏んでくやしがるばかりで、だれ一人として大瀑布を跳び越えようとする者はありませんでした。その地は、勝ち誇る由良の軍勢としては、とても跳び越えられる場所ではなかったのです。窮地に立たされた必死の姫君一行だったからこそ、跳び越えられた場所だったのです。


 
 姫君一行が次々と舞い跳んだ地。そこには、後日、このできごとに因んで「跳滝(はねたき)」の地名がつけられました。そして、その故事があってから四百余年の時が去りました。今では、その跳滝の地に「はねたきばし」という麗しい名の永久橋が架けられ、桐生川の流れや周囲の自然と渾然一体となって、素晴らしい景色をかもし出しています。と同時に、「桐生城落城悲話」のあった地であることを言わず語らずのうちに、ソッと私たちに示してくれています。

wpe77.jpg (6906 バイト) 先年、桐生市立梅田南小学校と同第二養護学校(現在の桐生養護学校)の児童・生徒が、二年間に渡っての交流学習を行いました。その二年間、両校の児童・生徒は、この「はねたきばし」を学習に入る出会いの場と決め、学習が終ると別れの場、再会を約束する場に定めて、心温まる交流の日々を重ねました。
 戦国時代の昔、この跳滝の地で、必死になって大瀑布を跳び越えた姫君、そして、姫君と行動を共にした桐生氏の家臣たちは、きっと「はねたきばし」の上で繰り広げられる、両校生の美しい心の交流の様子を、きっと羨望の眼でもって見つめ続けていたことでしょう。あの冥府のどこかからかで・・・・・。
 『一心、大瀑布を跳ぶ』という素適な伝承の地、それが菱町五丁目(もとの上菱)の「跳滝」の地なのです。

(写真は現在の跳滝橋)


<跳滝(はねたき)>
 この地名について「菱の郷土史」は次のように記述している。
 桐生氏、由良氏時代にこの地区にて戦いがあったが、戦いの最中兵士が、この川の中にあるいくつもの滝を、とび越え、跳ね越えて来たという伝説があるためこの名がつけられたのであると、土地の古老が話していた。昔の橋名は葉根滝橋と云う。

◆道案内◆
KHCバス停「観音橋」下車。近くの観音橋を渡って左折。市立桐生養護学校を通り越して「はねたきうどん」の看板を見る。そこで再び左折すると、すぐに永久橋になる。その橋が「はねたきばし」で、付近一帯が跳滝地区内である。


(打ち込み:長田克比古)

 

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