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カッコソウ オランダへ  桐生から標本、種子寄贈

 この地球上で唯一、桐生市北部の鳴神山(九七九・七b)を自生地とするカッコソウとともに、オランダに旅した。わたしたちの暮らすまちを取り巻く豊かな自然生態系、そのシンボルといえるこの美しい花の存在を、後世・世界に伝えたいと思い続けながら。オランダには幕末、シーボルトが持ち帰ったカッコソウの標本が、国立ライデン大学植物標本館に大切に保管されている。一九九七年三月に確認したそれは、カッコソウが一つの種として学名を与えられるもとになった、学問的にも重要な基準標本であった。

  ライデンの研究者たちは鳴神山からはるか旅した現代のカッコソウ標本を歓待してくれ、百七十年前の先祖と対面させた。そして、寄贈した種子を育ててくれることになった。発芽し生長すれば、植物園の一角をしめる日本式のシーボルト記念庭園に植える計画という。植物園を訪れる各国の人々がこの春にも、お花見を楽しむことができるかもしれない。日本とオランダ、桐生とライデンの間で、カッコソウは未来に向かう友好の架け橋ともなりそうだ。

(蓑崎昭子記者)  十一月中旬のライデンはもうすっかり冬の装いで、旧市街のメーンストリートには早くもクリスマスを迎えるイルミネーションのアーチが連なっていた。前回、国立植物標本館にカッコソウの標本をたずねて初めてこの地を訪れたのは、三月の下旬だった。そのときの、復活祭を前に春を待つ寒さとはまた、空気の肌触りが違っていた。

  翌朝、運河に面したホテルの窓から眺めると、あたりは一面の霧である。古いレンガ造りの街並みもぼうっとかすんで、異邦にひとりいる実感が沸き上がる。しかし、大切な道連れがあった。鳴神山のカッコソウだ。  今回の旅の目的は、カッコソウの標本と種子をライデン大学植物標本館・植物園に届けることにあった。百七十年も前にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(一七九六│一八六六年)によって運ばれたカッコソウの標本は、いまも同館の収蔵庫にただ一つ、四百万という膨大かつ整然と居並ぶコレクションのなかに収められている。その子孫は世界唯一の自生地である鳴神山系に息づいているものの、もはや「絶滅危急種」なのである。手遅れになる前に、なすべきことはいろいろあるだろう。学問的にもきちんとした存在の記録をとどめること、それも重要な一つだ。

  長年にわたって自生地の調査をし、カッコソウの保護・増殖に力を注いできたカッコソウ保存会(朝倉陽一代表)が、標本の作製や自生状況の写真撮影に取り組んだ。一九九七年の四月末から五月初めの開花期、朝倉さんと主要メンバーの新井糸江さんはカッコソウをていねいに採取し、美しい押し花にしている。

  標本寄贈の申し入れをしたところ、ライデン大学の植物標本館長ピーター・バース博士はとても喜んでくれ、あわせて種子の寄贈を求めてきた。同大学ではサクラソウの仲間たち(プリムラ)を植物園で生態保存しており、カッコソウもぜひ加えたいというわけだ。  たしかに春まだ浅い植物園で、他の花々に先駆けて咲くプリムラに目を楽しませてもらったことを思い起こした。ヒマラヤ山麓、シベリアから中央アジア、ヨーロッパ・アルプスや地中海沿岸の自生種まで。ピンク、黄色、白の彩りが印象的だった。

  地球規模での自然環境破壊などによって野生植物の危機が懸念される今日、絶滅のおそれのある植物の保全に果たす植物園の役割も、あらためてクローズアップされている。たとえば日本でも、東京大学の小石川植物園は小笠原諸島固有のオガサワラツツジ、ムニンノボタンなど、絶滅の危機に瀕した植物を調査、生育特性を研究し、種子から増殖して自生地に植え戻すといった活動を続けている。植物園施設内で保全するだけでなく、あくまで自生地の復元を目標にしての植物学だ。

  カッコソウの場合も民間有志による保存会がボランティアで、これに類した活動を実行しているが、絶滅の危機に追いやった原因である植林や盗掘という人為に加えて、広域基幹林道・梅田小平線の建設という大問題が自生地を横切る。カッコソウのみならず、鳴神山系の自然生態系に及ぼす影響は重大だろう。  植物園にしても、一カ所だけでなく、保険のために二カ所以上の施設で栽培しておくことが期待されている。四百年以上の歴史と実績を持ち、しかもシーボルトゆかりのオランダ国立ライデン大学植物園にカッコソウの種子が渡った意義はきわめて大きい。

  シーボルトが一八二〇年代の日本をまるごと梱包するかのように海路輸送した収集品は、いまや江戸時代のタイムカプセルといわれるほど、わが国にも残っていない貴重なコレクションとなった。それらはオランダ最古の大学であるライデン大学にヨーロッパで最初の日本学講座を開設するもとになり、ライデン民族学博物館の前身ともなった。長崎では西暦二〇〇〇年を目指して、かつての出島を復元する試みがはじまっているが、そのモデルになる資料もこの博物館にあるのだ。 

  われらがカッコソウはシーボルトによる先祖の百七十年後を追って、空路、オランダに渡った。そしてライデンにたしかに到着し、植物標本館のバース館長以下、多くの植物研究者を感激させたのである。前回世話になったカルクマン教授(前館長)、顕花植物コレクション・マネージャーのコフマン女史、図書館のルーク氏も親しく迎えてくれた。加えて種子を育てる植物園のキュレーター、カーラ・テウナ女史も寄贈の席に立ち会い、ライデンのローカル紙からは記者とカメラマンが取材に来て、翌日の紙面をカラーで飾った。

  「美しい、すばらしい標本」という賞賛を受けた新しいカッコソウの標本は、十六の自生群からそれぞれ一枚。群ごとに花の色や大きさ、つき方など二型だけではない特徴をもつことは、いっしょに寄贈した保存会の朝倉代表が撮影した写真はもちろん、標本でもわかる。歓迎の場に用意されていたシーボルトのカッコソウと見比べると、昔のもののほうが小ぶりであり、褐色がかっているのは、ときの経過ゆえということだ。

  現代のカッコソウはさっそく、標本作製の専門担当者の手で、標本館の統一台紙(五〇×三〇a)に一枚ずつ、ていねいに固定された。採取者や日付、自生地などのデータはラベルに書き込まれて、紙カバーにくるまれ収蔵庫内に収められる。新旧のカッコソウ標本は時空を超えて重なり、ここに末長く保管されるのだ。

   歴史的な寄贈の大役を果たした翌日、植物園を散策した。空は打って変わって晴れ上がり、きのうの霧の名残なのか、樹木も枯れ残った下草も、無数に置いた水滴をキラキラと光の粒にして輝かせていた。いのちそのものが奏でる賛歌を聴くようであった。  シーボルト記念庭園はかわらを乗せたベンガラ色の塀に囲まれ、枯れ山水は一八三〇年に移植されたシーボルトゆかりのケヤキの落ち葉に埋まっていたけれど、どこか懐かしい気持ちにさせられた。来春、あるいはその次の春にか、ここにカッコソウがあの可憐な花を開くとすれば、どんなにすばらしいことだろう。

  ライデン大学は植物研究部門が標本館とともに新しいサイエンス・ゾーンに移ったが、植物園は旧市街ラーペンブルグ、修道院だった建物にいまも置かれている本部の背後に広がっている。ここには学生たちだけでなく、年間九万人が各国から訪れるということだ。日本人訪問客も一万人、日本をヨーロッパに紹介するとともに日本に西洋の科学的知識を伝えたシーボルトを回想しているという。

  あずまやの奥、若きシーボルトの胸像は、彼が愛した日本女性「お滝さん」の名を学名にとったアジサイの花に囲まれていたことに気づいた。そしてカエデの葉が深紅に色づき、周囲を鮮やかに彩っていた。  プリムラの仲間たちは植物園の一隅に集まり、濃緑の葉で越冬態勢を整えている。カッコソウはそこではなく、シーボルト記念庭園に植えようというバース館長の配慮がうれしかった。彼らには危機的状況にある植物を盗掘するという行為はもちろん、希少植物の自生する山に車が往来する道路を建設するなどということも、理解できないことのようだ。カッコソウがライデンのシーボルトの胸元に残るのみという悲しい事態を迎えないよう、自生地保全こそ、わたしたちに課せられた大命題に違いない。

  西暦二〇〇〇年、オランダ船デ・リーフデ号の漂着に端を発した日本とオランダとの交流史は、四百周年の節目を迎える。これからの両国間の友好親善のためにも、さまざまなイベントや展覧会の企画が進行中だ。それと軌を一にして、鎖国日本の唯一の窓であった長崎・出島は一八二〇年代、まさにシーボルトがタイムカプセル化した時代に復元されようとしている。ライデンのコレクションも大活躍なのだ。

  バッカ、バッカ、パッカ、バッカ……、意外な音の方向に目をやると、植物園と街区を隔てる運河の向こう、レンガの街並みを背景に、馬に乗った黒服の紳士が行き過ぎていった。感覚はシーボルトがここで暮らし、『日本植物誌』の執筆を続けていた時代に揺り戻されるようであった。そしてかなたに、カッコソウが咲き乱れるお花畑の夢が広がっていくのだった。 

「桐生タイムス掲載」

 


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