1-4海蔵標本
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海蔵標本、「カツコ草」に胸踊る


 ライデン国立植物標本館における調査取材では、胸の高鳴りを覚えることが度々あった。江戸時代後期の日本人がシーボルトに寄せたさまざまな植物資料が、まるで玉手箱を開けるように目の前に現れるのである。それらの中に「カツコ草」の文字を見い出したときは特に、強烈であった。

(写真・平井海蔵による植物標本帳の2冊目。イロハ順の「カ一三」に「カッコソウ」の文字を発見した)  
カルクマン教授と顕花植物コレクション・マネジャー、スタン・コフマン女史の案内で、特別収蔵室に通された。そこには伊藤圭介が贈った十四冊の和綴じの植物標本帖や、蝦夷地の探検家として知られる最上徳内の木材コレクション、そしてビンに入った乾燥標本などもあり、興味は尽きない。

  大森實教授の鑑定でも明らかに圭介の筆で「日光ノ肉●蓉」と書かれたラベルからは、彼が日光湯ノ平から金精峠を越えて沼田に出たらしいことが読み取れる。榛名山でも収集し信州を経て名古屋に帰着。ほどなく長崎のシーボルトのもとへ馳せた、文政十年の足取りと合致した。しかしこの標本はまだ研究の手がつけられていない。「私たちは完全ではないのです」。コフマン女史が繰り返し言う。日本語の読める研究者がほしいそうだ。

  この「カツコ草」も、のちに目にとめた研究者はいないようだ。平井海蔵の標本帖で全4冊、「ジグザグ・ブック」と呼ばれる折本の体裁で、1ページはほぼ33×23.5cm。和名イロハ順に704種の植物が張られている。その二冊目に、墨で花の形の説明や「郷名サクラソウ」、朱で「カツコ草」と書かれた和紙ラベルを発見したのだ。  はやる心を鎮めて和紙をめくる。しかしその下にあったのは貧弱な葉茎根で、「カッコソウじゃない!」と思ったのは、まったくの無毛だからだ。朱は別人の加筆訂正で、台紙に番号を書いたのはシーボルトということである。

  平井海蔵(1809−1883年)は三河の生まれで、シーボルトの着任以前から長崎に行き、出島の医師から教えを受けていたらしい。この標本帖はまだ十代で作成したものだが、採集した植物を整理し調べてイロハ順に張るなど、熱意のほどがうかがえる。
【写真・和紙ラベルの下にはこの通り、シーボルトがつけた番号では「167」であった。ライデン国立博物標本館蔵】

  「ジグザグ・ブック」にはまた、切り取られた跡が目立ったが、標本を別の台紙に張り直して研究に活用した(山口隆男熊本大学助教授)からだという。「カツコ草」のラベルを見ることができただけでも良しとしたい。なぜなら、この時代の鳴神山麓の里人は、カッコソウではなく「サクラソウ」と呼んでいたからだ。  「カッコソウ」は江戸時代の園芸植物図鑑といえる「地錦抄附録」(伊藤伊兵衛政武著、1733年)に、すでに「勝紅草」として図入りで紹介されている。しかし桐生にその名が知られたのは、昭和も8年になってのことなのだ。 

「桐生タイムス掲載」

 


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