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☆ 買場紗綾市の誕生について ☆

                                                                                                              中村 弥市

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今から百十八年前、桐生新町一丁目の通りから西久方へ抜ける通りに於いて、「七県併合生糸織物共進会」なるものが開催された。 明治十五年、桐生共進会と称するのがコレである。七県とは、神奈川県・福島県・栃木県・長野県・山形県・埼玉県・群馬県である。                                                              

開催期日は、明治十五年十月一日から十一月二十日の五十日間であった。 発会式では、群馬県令(知事にあたる)や当時の農商務卿西郷従道氏の祝辞もあったという。表彰式は北小学校で行われた。

                出品数 ・・・ 6,554品          

              関縦覧総人員 ・・・68,056人で一日平均、1,300人余であった。

翌年の明治十六年、共進会が開かれた通りに於いて、桐生物品売買所なるものが開かれ、これが上市場の開設となり、定期的に市場の運営がなされたのである。この上市場は昭和の初期まで機能していたが、今の長崎屋のある処に下市場が開設されたため、上市場は閉設となった。閉設となった時期ははっきりとしないが、上・下の両市場が一緒に機能していたとも考えられるが、街の発展が南に伸びるに従って上市場は自然消滅となったと考えられる。然し、買場という名称は残ったのである。

平成二年頃、文化庁の宮澤智士先生等が(当時、建物課長)面々本町一・二丁目を観察、江戸・明治・大正・昭和の4時代の建物が混在し、然も博物館的様相を呈していることに眼をつけ、桐生の教育委員会文化財保護課に保存、保護運動するよう働きかけたのである。

平成三年三月には、(株)矢野本店が広沢に営業所を設けたので、本町二丁目の建物約千四百坪が桐生市に寄贈された。そして国土庁によって大改築されるという幸運に恵まれたのである。

そんな時、伝統的建物群の話が持ち上がり、桐生市も予算づけを決定、東大、日大等の建物専門の教授、学生六十人余が来桐、本町一・二丁目の家屋、四十三軒余の調査を終了した。平成六年夏、こうした状況の中にあって、建物調査報告まで矢野有鄰館で行われ、稀にみる恵まれた環境を放っておく手はないと平成七年二月結論づけたのである。

本町一丁目町会長の森さんは、重伝建群の消滅に対し危機感を抱き、一丁目の人達の署名を集めて、重伝建群の早期指定促進の要望書を市長宛に平成七年十二月十二日提出した。然し何か具体的に本町一丁目で事を起こさなければ誰も注目してくれない、街並保存にしても重伝建群指定にしても、専門的知識のある人、その方面に興味を持っている人達だけにしか関心があるだけである。

 

そこで考えついたのが市場の開設であった。丁度買場通りには    「桐生市商工業発祥の地」という碑もある(右写真参照)。そして天神様には今から二百七十年前の紗綾市の絵が奉納されている。そうだ買場紗綾市という名称で始めよう。この事が桐生タイムスに報じられると、沢山の市民の方からの応援や、物品の寄贈もあって実現可能の判断がついたのである。そして幸いに天満宮の骨董市が三年目を迎えて定着しつつあった。その開催日、第一土曜日を紗綾市の開設日と決定したわあけである。折角、骨董市に出てくる人々を放っておく手はないのである。そして平成八年三月二日、市長、警察署長等大勢の来賓によってテープカットが行われ買場紗綾市の発足となったのである。重伝建群指定促進、近代化遺産活用、地域活性化の悲願をこめて。

五周年を迎える事の出来た最大の要因は、出店者の皆さんの創意と工夫、そして買場紗綾市に対する情熱 、この熱意に対して深甚なる感謝の意をささげます。

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odori.JPG (17019 バイト) 又、特筆すべき出来事は、平成九年夏、木々春作氏による作詞と、町内に在住する関根英雄氏作曲により「買場紗綾市音頭」が完成発表され、これには群馬フォークダンス連盟会長の飯島先生による振付指導である。紗綾市発足してから一年の間に唄と踊りまで誕生させてしまったものは一体なんだったのでしょう。    

桐生の歴史を語る作詞と、覚え易いメロディーのために、街角でも時々聞こえてくる紗綾市音頭、僅か一年半の紗綾市の歴史がこの唄を生み出す原動力となり、それが見事に華開いたといってもよいでしょう。